自分心理マニア❤︎しゃべってデザる
macoです。



自分軸構築中です。












先日、年綱京子さんの
セッションを受けました(๑ ́ᄇ`๑)

京子さんは
とても物腰が柔らかくて
初めましてだったけれど
気さくに話していただいて

その中で核心をサラリとついてくる
と言った感じの方でした🌸

でも終始『柔らかい』印象でしたおねがい


セッションの中で
色んな言葉をもらって

私の中での感覚の整理が付いたことが
いくつかありました。














亡くなった実母に対して


彼女は楽しく過ごしている
こちらのことは気にせず
我が道を行く人

生前の母を思い浮かべて
そう感じる。




だから
私は私のことに
集中すれば良い

そう思って来たのだけど。





ここに来て

『存在は体が記憶している
だからそれはおおいに感じてあげればいい』

という言葉をもらった。







あぁ ホントだ。


母は母。私は私…ではあるけれど







私の体が
母の存在を…

質感、体温、ニオイ

それらを覚えているんだ。






その部分は
母に対する記憶でさえも
『私の部分』なわけだから



私は私


淋しさを私がちゃんと
感じてよしよししてあげるのか…








そこの部分が

ストンと
腑に落ちた感覚。











私が、
母を思って泣いたり
何かを感じていると

次へ旅立とうとしている母を
いつまでも引き止める事になる
んじゃないか?と

実はまだ思っていたのだけど。。。







「お母さんはお母さんの
エスカレーターに乗ってるから

それを止めることも
コントロールすることも出来ない」


「変えられると思うことすら
おこがましい」










人と人は違う…ということを


宇宙理論とかでは
人はひとりひとり小宇宙
などと表現されたりする。





頭では分かるけれど
イマイチ実感出来てなかった(@_@)
って事が

この
『エスカレーター』での例えを聞いて
とても良く理解できた。






姿が見えているのに
違うレーンに居るという例え。

分かりやすい!





亡くなった実母でさえ
まだ私の中で
イメージコントロール仕掛けてた!

生身で居ないからこそ
思い出コントロールしやすいね。





そう

みんな違うレーンを
それぞれのペースで
それぞれの乗り心地で
それぞれの向きに
上がって行っている

私が何らかの影響やキッカケを
与えたとしても
その人のエスカレーターを
どうこう出来ると思うなんて
おこがましい話しである。


人と人は
違うのだから。









ただ


私が母のことを懐かしく思ったり

想像したりすると








「なに? 私のこと話してる?ニコニコ

と、喜んで振り返ったりはしてくれる。


↑それは母の意思。













だから

私は私の気持ちを…
記憶を大事に扱ってあげればいい。






母のエスカレーターは
止めるとこは出来ないけれど


気付いたら横を並走してたり
することもあるかもね。








その時は
ハグと、頭撫で撫でしてもらおう♡















こうやって

自分の中の感覚の




細かな細かな部分にまで


『私』が『私』に寄り添う









今まで

なんとなくフタをして

隠してしまっていた




私の中で納得がいっていなかった

小さな違和感や不処理感








それらを

どんどん回収出来る所まで

感度が上がって来ているね。
















見える肉体も
見えない心も記憶も

全て私の管理下だ。











この感覚を伝えてくれた
京子さん♡

Specialサンクス💕です!!