macoです。













周りの人との
理解し合えない思考の感覚を




私は

ぢんさん(心屋仁之助さん)の
という
『性質分け』論で
腑に落ちて納得した。

(これはホント秀逸だと思う!!)
(ちなみに私は後者飛ぶ族です)







『あーー 人と人は違うのかぁ』
って、

その時ホント、
『やっと知ったびっくり
って思った。











で、

これは
ぢんさんも言っている通り




この『違い』に寄って

自分自身で
『自分はダメだ』と責めて
しんどくて堪らない時



『あー 
私は飛ぶ族だから
もうしゃーないよぉ
それでいいやん💕』



ってな具合に
自分の中で『落とし込むワード』
として使う。

そういうツールとして
知っておくといいもの♡
なのである。












駄菓子菓子!






厄介なのは

自他共にそれを
『レッテル』として
貼ってしまうクセがあるってことだ。





人から

『あなた飛ぶ族だもんねー』

なんて言われると






相手は私を飛ぶ族として見ている
レッテルがある。




んで、




言われた私は私で
『私は飛ぶ族だから…』と
レッテルを自分に貼るのである。








ホント
もうこの分類分けのクセ!

善悪のクセ!

白黒のクセ!

0か100かのクセ!








どっちもある。

なんなら間もある。






それを頭では理解しているけれど



実は
『レッテル』や『看板』として
はたまた『フィルター』『メガネ』として


それをくっつけて、または通して
見ているのである。












いやーーーぁ

これやってるとさぁ

会話がホントしんどくなるんだよねぇ













何気なく発した言葉でさえも




聞く人の前提、思い込み

言う人の印象、声音

外野のレッテルの野次
(↑外野自身の前提、思い込み有り)





それらによって
もう、本来の私自身を
見てもらうことが
不可能になる。

↑私自身も自分が見えなくなる。

















自分自身が
『それでもいいよぉ』と
納得するためのツールである

『落とし込みワード』










それを

ホント自他共に
レッテルとして貼っちゃうと






まずは
そこを払拭するのに
労力を費やす事になって








軽〜い
楽し〜い

会話が出来ず




しんどい

のである。















相手が勝手に貼って来たものを
受け取らなくていい。




私は私を見てあげる。


その目を強化しよう。

そこに気付く感度を上げよう。