macoです。



本日は
次男に対しての旦那さんのこと。
そして、自分のこと。
次男くんは
目下ひきこもりくん。
人との交流に対しては
今はまだ消極的。
旦那さんは
そんな次男を想いつつも
自発的に動こうとしない姿勢を
受け入れきれなくて
マンツーマンで接する時や
その後に
イライラが外に出る。
『なんとかならんのか、アイツ』
的な発言も出たり。
『あれでいいんか?!』
と、旦那さんの中での正解と
次男をジャッジしてモヤモヤ。イライラ。
うんうん。
ジャッジもするわなぁ。
自発的に、
意欲的に、
何より、本人が楽しそうであってくれたら
それだけでも良いなぁ
という、
こちらの思い(理想)とは裏腹に。
次男くんは
自分の人生を悲観したり
どうせ自分なんてという『責め』を
しっかりガッツリ握りしめていたりする
発言をボソボソしたり
楽しいこと、好きなことなんて
何もない。
ただ生きているだけ
発言をしたりする。
自分の子どもが
自分の大切な人が
自分責めをしている姿を見ているのは、
とても心が痛くて。
自分責めから解放されて
楽になれたらいいねぇ
自分の『好き』『嫌い』を知って
その上で『自分』を楽しめたらいいねぇ
そしてその自分で、
楽しいことに向かえたらいいねぇ
そんな風に思って見守ってはいるけれど。
見守るこちらも人間なので。
時として、
周りからの反応や、
自分自身の正解などとでジャッジして
自分の感情に飲まれる事もある。
そう。。。
ここでも結局
『自分』なんだよね。
今朝、旦那さんが言う。
旦那さん:
「週末にバドミントンするけど
アイツ、誘ったら行くかなぁ…」
旦那さんは社会人バドミントンをしている。
次男くんは転入前の学校で
バドミントンをしていた。
旦那さんなりの優しさで。
常に家に居る次男くんを
外に連れ出してあげたい。
体を使ったら、スッキリするかも。
一緒に出掛けてあげたい。
誰かと触れ合わせてあげたい。
このままじゃダメなんじゃないか。
そんな思いがギュッと詰まったセリフだった。
前の私なら…
なんて答えただろうか。
(2年前くらいのブログに書いてるかも)
けど、今の私の返事は↓こうだった。
私:
「んー。行くかどうかは分からんなぁ
行かんような気もするけど。
ただねぇ あの子がどうとかって言うより
旦那っち自身の気持ちだと思うよ」
旦那さん:
「?」
私:
「もしあの子が行くって言うて
連れて行っても、行った先で、
旦那っちの思いと違うあの子を見て
イライラしたり、
なんやねん…とか思ったり、
態度に出してしまいそう!って思うなら
誘わん方がいい。
あの子がどんな態度をとっても
それを丸っと受け入れて、包み込めると
自分で思うんやったら誘ってあげて。
あの子が行くか行かんかは
あの子が決めたらいいし、
どっちの返事でも、そうかって受け取る。
見るのはあの子やなくて、
旦那っち自身がどうしたいか?
自分自身をどう出来るか?やと思うで」
旦那さん:
「…んー そうか…」
こんな感じで話したよ。
旦那さんからの即答は無かったけれど
考えてるんだろうなぁ
という間合いがあったので。
そこはじっくり
自分の中を見てもらおう。
今の旦那さんの心のポジションが
どこにあるのか?
週末、どうするのか?
見守っていよう。
そんなことより
何より!!
いつもここをご覧のあなた!
私の変化…
凄くない?
この返事が、
なんの躊躇もなく
サラサラと口をついて出て来て。。。
自分でしゃべりながら
『わぁ 私、楽になったなぁ』
って思ってた。
『誰かのため』という主語の言葉って
結局は
『その誰かがこんな風になったらいいな』
という自分の思い・理想があるから
出る言葉で。
その思い・理想みたいになっている
誰かの姿を想像したら、
自分がホッと安心出来る。
結局、自分の安心の為の言葉ってことで、
ひいては、
『自分のため』
という事になるんだ。
んで。
折角相手のことを思って
(自分が安心するために)
声を掛けてあげたのに
その思い・理想通りになるように
動いてくれなかったら、
『なんだよ!くそ!
あなたの事を思って言ってあげたのに!』
てな具合に
勝手にがっかりして、
勝手に受け入れてくれなかったことに
悲しくなったりして。
怒ったり、拗ねたりするんだよねー。
ふふふっ
厄介だわ。自分。。。笑笑
見るポイントは
誰かのためじゃなく
自分の感覚。
そこなんだよねー
いやぁ
当然イライラする!腹立つ!
でも、
これでいいか〜
も思う!
楽になったなぁ 私が。