macoです。







誰かに言われた言葉に

イラついたり

引っかかったり

モヤザワしたり

悲しくなったり



自分が誰かに言った言葉で

言わなかったら良かった…

なんで言ってしまったのか…

と、考えてしまう時






それは

自分が自分に

『ダメ』だと

禁止している言葉が

あるから反応するんだ。








その無意識レベルの『禁止』が

何なのか?

まだ1度もそこに気付いたことがなくて

知らないのであれば

ちゃんと自分を知ってあげるのは大事。









でもさ。

その自分に『禁止』していることが

もう分かっちゃっているのに





何度も、何度も

同じ状況がやって来ては

あー また言われた…

あー またやっちまった…

と、凹んで止まる状況が

繰り返されている時は。。。







もうさぁ






あなた、そんなので良いの?

あなた、それで良いの?

あなた、それ大丈夫?





そう言って

ずっと見張ってくる

オマエ!!





そう、私自身に、




『は?それが
なにか?
( º言º)』








って、

言ってやっていいんじゃないか

と思うんだ。








それは、現実と向き合うことから背く

と言うことじゃなくて。

いつまでもその場に留まり続けて

自分で自分の首を締めて

見張って、制限したり。



人から言われる度に…

自分で言っちゃう度に…




『どうせ私なんて』

『私なんかが…』

のぬるま湯の沼にハマって

抜けれない

抜けれない

と、言い続けてることを辞めること。









沼からさ、

キレイさっぱりした姿になって

抜け出していけると思ったら

そりゃ あり得ない理想論だ。



沼から出るには

ドロドロで、

這いつくばって、

人に見られたら

小っ恥ずかしい

ってか、見られたら死ぬ〜くらい

自分にとっちゃ ハズ〜い

みっともない、醜〜い姿を

さらけ出して

抜け出すんだ。








その姿を、いちばん馬鹿にしているのが

まぎれもない

自分自身なんだ。






みっともなかろうが

醜かろうが

周りにどんなことを言われようが

それを

自分が自分に

無意識下で

無言の圧を掛けて来たら





『は?それが
なにか?
( º言º)』





って、

もう言ってやりゃあ

良いんだよ。








周りが言った言葉に反応してるのも自分。

自分から出した事で反応してるのも自分。


全部自分が

自分に対して制限している。

自分責めし続けている。






そこに

留まり続けなくてもいい。








もう、そのままの自分で。






できてない、ダメ、

私なんて、こんな私が…と思う

みっともない、醜い

そんな自分が100%で




は? それがなにか?

もう、これが私ですから。






そう言って

沼から、

ゴロリと

まずは

寝返って岸に出てみるか。



やーーーん

醜いのぉ〜〜〜

できてないのに

恥ずかしいのぉ〜〜〜






でも。。。



きっと、愛おしいよ🌸








自分のお尻を叩く。









※何でもかんでも
開き直って好き勝手していい
っていう話しじゃないのよん。