こんにちは(・∀・)ノ
macoです。
思い出した。
母は
何でもかんでも
やってあげたくなる世話好きで、
なのに、「なんで私ばっかり!!」
って愚痴ってた。
「私はアンタたちの
家政婦じゃないよの!」
って口ぐせだった。
「じゃあ 放っておけば?」
何度言ったか分からない。
でも「そんなこと出来るわけがない!」
って、また怒ってた。
父は
男たるもの
仕事に出て稼いでくれば
家では台所には立たず、
目線ひとつで
手元に欲しいものが
やって来て当然。
(お茶 つまようじ 新聞紙…etc.)
亭主関白振りに違和感を感じた
高校生だった私が
「男と女と言えど、
人間と言う生き物と考えたら
平等にやっていいことあるよね?
(つまようじくらい自分で取りなよ)」
って意見したら
「男と女には
それぞれの脳の仕組みにおいての
役割があるんだ!!
男女平等のことばの意味を
はき違えるな!」
って、言われたなぁ
当時も???って思ったけど
今でも思うな 笑笑
約15年前
母が胃ガンで入院。
全摘をした。
ゴミ屋敷と化していた
父と母の住まい。
そんな中でも
父はいっさい家のことには
ノータッチだったので
自分の下着の在りかが分からんって
呼び出された。
(私は結婚後、近所に住んでいる)
お弁当も母は毎日せっせと作っていて
それは当たり前に
そうするものだとは思っていた。
だから、
そんな母が入院してるので、
私は父と旦那の分のお弁当を
そこからしばらくの間
作り続けたなぁ
私は、料理は好きだけど
朝早く起きて毎日作る
お弁当用意は苦手だったな…。
入院から帰って来た母は
程なくして
軽度の認知症になっていった。
ホントは、きっともっと前から
徐々に進行してたんだろうなぁ
と、後から思えば
思い当たる節があるが…。
…で。
もともと右股関節も悪くて
足も不自由だから
どんどん動くことが難しくなってきた。
それでも母は
父の世話がしたくて
「お父さんは何もしてくれないのよ!」
と言いながら、でも
任せようとしなかった。
だけど、次第に
動くとケガ
動くとケガ
動くとケガ
の繰り返しになった。
だから、
今度は父が
家庭内主夫になった。
(これも、徐々に父が観念したんだけどね)
仕事ももちろん行っている。
そうして。
今、父母の家は
めっちゃキレイ✨だ。
床に水滴が落ちてるだけで
ティッシュでフキフキ。
ガスコンロ周りは
キッチンクリーナーでいつもピカピカ✨
「何?やれば出来たのね」
後の母の台詞。
みんな、そう思ったね。
当の本人も思ったようで、
父は私に
「やれる事は、
男とか女とか関係なく
やって良かったんやな」
って
言ってきたよ。
笑笑