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「ある阿呆」の考察

明治大学商学部卒。
農業、日本語教育を生業とする。
日々感じていることを表現してみたいということで
稚拙な文章を書いています。

 私は大学生の頃に1年間、とある有名な個別指導塾でアルバイトをしていた。

 

 当時、深夜のコンビニのバイトと掛け持ちしていたので相当きつかった。

 

 春期講習のときなどは深夜のアルバイトが終わってから家に帰り、スーツを着て寝ずに塾へ向かっていた。

 

 他の講師たちは午後6時開始の授業に合わせて午後5時半くらいに出勤するのだが、当時の私は恩師「竹岡広信」先生の影響なのか、自分ができる限り精一杯の授業がしたいという思いがあったので午後3時には出勤して、その日に私が担当する生徒全員の授業の準備をしていた。

 

 その甲斐があってかどうかは知らないが、1ヶ月働いただけで時給が100円上がった。

 

 また、どういう経緯か覚えていないが、高校生の主任講師待遇になった。当時の私は喜びより、プレッシャーの方が強かったのを覚えている。

 

 主任講師待遇になってからの私の仕事量が格段に増えたので深夜のコンビニのアルバイトは辞めざるを得なかった。

 

 金銭的にも精神的にも追い詰められていた。

 

 しかし、矛盾するようなことを書いていると思われるかもしれないが、生徒と接するという塾の仕事自体は楽しかった。

 

 私の授業方針は基本的に各生徒の性格に合わせて、無味乾燥な課題を解く生徒たちと雑談をしてやる気を出させるといったものだった。

 

 そのため、男子生徒のために好きでもないアイドルグループのメンバーの名前を覚えたり、女子生徒のためには全く興味のない韓流スターや芸能人のゴシップネタなど手当たり次第に生徒が興味が引きそうなネタを探したりしていた。

 

 勿論、授業自体も手を抜くことはなく、各生徒の能力に合わせた課題をつくり、時には課題づくりの一環として1ヶ月の給料全部を受験参考書に使ったこともあった。

 

 そういった苦労も報われるときがある。ある中学生の生徒から「今日は先生が私の授業の担当でよかった。」と言われたときだった。

 

 その女の子は親から無理矢理に塾に通わされていたらしく、他の講師が指導するときは宿題をやってこない上に授業そっちのけで寝る。所謂、その塾の問題児だった。

 

 教室長も手を焼いていて、そこでその生徒の担当に「お人好し」である私に白羽の矢を立てたらしい。

 

 私はその生徒と妙に馬が合った。他の講師が話しかけてもなしのつぶてなのにも関わらず、私が彼女を担当した場合は逆にこちらが圧倒されてしまうほど話しかけられ、教室長から「静かにしてくれ」とたしなめられることが良くあった。

 

 だが、彼女も塾にくるのが限界だったのであろう。上記した言葉を最後に塾を去っていった。寂しい思いも強かったが、他の担当の生徒もいるので一層アルバイトに励んだ。

 

 今思えば、アルバイトにのめり込みすぎていたとしみじみと思う。