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「ある阿呆」の考察

明治大学商学部卒。
農業、日本語教育を生業とする。
日々感じていることを表現してみたいということで
稚拙な文章を書いています。

 11/6に「難関大日本史 練成&講習」の授業を終えた。

 

1日2講座から3講座のペースで進めた。講習の文化史は1日5講座を一挙に受講した。

 

私の個人的な感想の1つ目は野島先生が何故「日本史に野島あり」などと言われているのか

ということが身にしみてわかった。私は現役受験生ではないので、何人かの日本史の講師の

授業を受けてきた。その中でも、野島先生の授業は他の高校教師や予備校講師の授業とは比

較にならないほど質の高い授業を展開している。日本史の枝葉の部分はテキストの第二章に

詳しく記載され、日本史の幹の部分を圧倒的な知識量と指導力で受講生に注入する。野球の

ピッチャーで例えるならば、他の日本史の指導者は雑談など変化球を駆使しながらバッター

をアウトにしていくのに対して、野島先生は160キロの豪速球のみで三振を積み重ねていく

ような感じである。特に授業が近現代に入るにつれて、その勢いが増してくるようになる。

このように書くと、「お前は野島先生の信者だ。」という批判を受けるかもしれないが、実

際に野島先生の授業を受講してみれば私が上記していることを実感できると思う。

 

 感想の2つ目は、現役時代には感じなかった日本の歴史への恐怖である。特に近現代史で

感じたのはその時代の為政者がもし史実と違う選択をしていたのならば、今日の日本はなか

ったということである。近現代史ではしばしば綱渡りのような状況の連続である。「ヒスト

リカルイフ」が歴史学の中で何ら意味もないことはわかっていても、野島先生の指導力の高

さが加わることによって、日本がいつ崩壊してもおかしくはなかったと再認識させられたと

同時に恐怖を感じることができるようになったことは私が年をとったからかもしれない。

 

 今後は、1日1講座をペースにしてもう一度じっくり日本史の理解と知識を定着を図る予定である。