まこまこです。

八木さやちゃんのちょっと前の記事、親への当てつけ記事がなんとなく気になっています。
学歴コンプレックスについてもなんとなく気になっています。


つい考えてしまいます。

私のファッションへのコンプレックスは、親への当てつけだったんじゃないのだろうかと。

さやちゃんの記事を見るたびに、これは私の中でこういう風に解釈されているのでは無いのだろうかと考えてしまいます。

それに意味があるのかないのかはまだわかりませんが、やっぱり考察してしまうのです。

私は、小学校3年生の時に両親が離婚しました。それに対して当時は結構恨みがあったと思います。

思えば、当時周りに離婚した人がほとんどいませんでした。そのため私は自分は不幸な子供なんだと思っていた節があります。不幸でなくてもかわいそうな子供だと思っていたはず。

なんて両親は離婚したんだろう
お母さんがなんで出て行ったんだろう
お母さんがいたら自分がしなくていいことを、お母さんがいないことで自分がしなくてはいけない。

お母さんがいたら、
お母さんがいたら、
お母さんがいたら…

お母さんがいないから服がない。
お母さんがいないから家事を私がしなければいけない。
お母さんがいないから私は家事のやり方を知らない。片付け方がわからない。
お母さんがいないから、食事が不摂生になって痩せられない。

お母さんがいないから、

と言っては、私にコンプレックスが増えていった気がします。

もうよくない?
お母さんがいないから呪縛から自由になったらいいんじゃない。

不幸な子供を演じて同情されなくてもいいんじゃないかしら。

だってもう自分で幸せを見つけられるはず。
でもこのお母さんがいないから呪縛からどうやったら自由になれるのかがいまいちわからない。

でももうこの呪縛はいらないよ。
さようならするよ。