昭和の作詞家(20)野村俊夫ー戦後篇 | 昭和歌謡

昭和歌謡

懐かしい昭和の歌謡スターの歌を紹介します。

◎伊豆の山々月あわく

 心ならずも戦時歌謡を書いていた野村俊夫にとって、終戦は待ちに待った事だったろう。そして、いきなり大ホームランを放った。

 「湯の町エレジー」(昭和23年・古賀政男作曲・近江俊郎歌)〽伊豆の山々 月あわく 灯りにむせぶ 湯のけむり ああ 初恋の 君をたずねて 今宵また ギターつまびく 旅の鳥

 すでに人の妻となっている初恋の人をたずねて湯の町を流す男の歌。野村は熱海をイメージして作詞したという。確かに伊豆の温泉町で流しがいるのは熱海ぐらいだろう。ギターが聞かせる古賀メロディーの代表曲。古賀、野村にとって戦後初の大ヒット曲、近江はこの歌で一躍スター歌手に躍り出た。戦争の傷がまだ癒えない大衆は、戦時中は聴けなかったこうした感傷的な歌に飢えていたのだろう。40万枚という当時としては驚異的なレコード売り上げを記録した。

 「南の薔薇」(23年・米山正夫・近江俊郎)〽南のバラ そよ風に ほほ笑む 君の姿 胸に抱き 接吻ける 花よ バラの花

 ラテンのリズムに乗った軽快で情熱的な歌。25年に大映で水戸光子、近江の主演で映画化された。

 「ハバロフスク小唄」(24年・島田逸平・近江俊郎)〽ハバロフスク ラララ ハバロフスク ラララ ハバロフスク 河の流れはウスリー江

 ハバロフスクは極東シベリアの中心都市で、ここの収容所には敗戦後多くの日本人が抑留されていた。その一人だった米山正夫が収容所で覚えた歌を楽譜にし、歌詞は野村が補作してヒットした。ところが後にこの曲は島田の「東京パレード」という曲の替え歌だったことが分かった。吉田正の「異国の丘」とともにシベリア抑留の悲劇を今に伝える曲だ。

 「どうせひろった恋だもの」(31年・船村徹/・コロムビア・ローズ)〽やっぱりあんたも おんなじ男 あたしはあたしで 生きていく…捨てちゃえ 捨てちゃえ どうせひろった恋だもの

 男への愛想づかしの歌。強がってはいるものの、やっぱり少し未練がある、そんな女心をうまく表している。「捨てちゃえ」を二回繰り返すところが受けた。純情歌手として売り出したコロムビア・ローズが初めて大人の女を歌ったのも注目された。

 「東京だヨおっ母さん」(32年・船村徹・島倉千代子)〽久しぶりに 手をひいて 親子で歩ける うれしさに 小さい頃が 浮かんで来ますよ おっ母さん 

 上京した母親の手をひいて娘が二重橋、靖国神社、浅草を案内する。母親はもちろん着物姿だ。靖国には戦死した兄がねむっている。野村はガダルカナルで戦死した弟への思いを込めたといわれる。戦争の傷跡はまだ残っているが、一方で30年代に入っての経済成長で地方から東京見物に出てくる余裕もでてきた。泣ける歌詞、懐かしいメロディー、そして島倉の可憐さ、この歌をこよなく愛する人は多い。この歌と「東京のバスガール」は、はとバスツアーでガイドが必ず歌うという。野村、船村、島倉にとっても忘れられない代表曲となった。

 「女を忘れろ」(33年・船村徹・小林旭)〽ダイス転がせ ドラムを叩け やけにしんみりする夜だ 忘れろ 忘れろ 鼻で笑ってヨ

 アキラの歌手としてのデビュー曲。同名の日活映画の主題歌。アキラは年上の女性(南田洋子)と女子大生(浅丘ルリ子)の二人の女性に心を残しながらも異国へと旅立っていく。後の「渡り鳥」「流れ者」シリーズにつながっていく作品で、歌詞もメロディーもそんなアキラのイメージに沿ったものになっている。

 「他国の雨」(35年・石毛長二郎・島倉千代子)〽他国の町に 降る雨悲し まして夜更けは なお淋し

 旅先の雨に別れたひとをしのぶ静かで物悲しい歌で、野村の長男鈴木克東はこの歌詞が好きだと語っている。島倉の歌としてはちょっと異色な歌になっている。                                                      (黒頭巾)