家を抜け出して出かけた場所は・・・。

母校。
それも、いつも登場してくる中・高校ではなくて小学校。

実は小学生時代が、アタシが1番思い出したくない暗黒時代(笑)
親は離婚に向けて、そーとーゴタゴタし。
そんなストレスからか、本来の性格からか、
規律厳しいカトリック系私立女子校小学校が窮屈でたまらなく・・。
イライラをひとり食欲で満たし、超肥満児となり(笑)
毎日、毎日がつまらなくてたまらない日々でしたのね。

特に、学校の先生にはひとつもいい思い出がなく
当時まだ、バツイチなんて言葉もなく、親の離婚なんて
子供がまともに育つわけがない!と言う時代であり
何かやらかせば、ほら、親がああだから・・・と
後ろ指を指されがちな時代であり、その後ろ指を
1番指してきたのが、小学校の先生でしたの(笑)
でもね、それはアタシが、その学校の規則・規律に背くからであって
その集団にいる大人からしたら、当たり前の事だったんだと思うワケで。

そして。
この学校が肌に合わなかった為に中学は付属の中学を選択せず
(勉強面に多々難アリで行けなかったんじゃないかとも思うけど、そこは
自分は小学生だったから真相は知らない(笑))
違う中学に進み、生涯の友たちと出逢う事になるわけですから
そして、あれだけ幸せな、大笑いな子供時代を過ごせたワケですから
この学校に感謝してもいいくらいでございますっ。

まあ。
数十年前から、そういう恨みがましい感情もすっかり
忘れ去って大人になっていったアタクシでございました。

しかし、20代前半には、まだそういう境地には達しておらず
その小学校のすぐ裏手の保育専門学校に通っていたにもかかわらず
ぜってー行きたくない場所として、なるべくそっちの道を通らないように
通学しておりましたっ(笑)

それくらい、人間形成に暗めな影を落としたり色々とあった
いろんな意味で、忘れられない場所だったワケであります。

それが、数年前。
糖尿病を克服した能楽師(中高の時の同級生)の娘ちゃんが
その学校に通っていると知って、げげげっと思ったのでありました。

そして、それ以来数年間。
その能楽師が、毎年毎年その学校の文化祭的なモノ(小・中・高と合同)に
誘ってくれていました。
しかし。
まだ、その場所に足を運ぶ気になれなかったり、予定があったりと
今年まで、その文化祭に行く事はありませんでした。

ところが今年。
色々迷ったんだけど・・・。
行ってみるかなあって気になりました。

それは、先日従姉妹から聞いた話し。
実は、従姉妹の娘ちゃんも今年こちらの小学校に入学し
従姉妹も、ここの卒業生である事から、昔からいらっしゃる先生に
自分が卒業生である事を話したらしいのですわ。

すると、その先生はすぐ従姉妹の事を思い出し
ああ!っと解ってくれたそうで、その次に出た言葉が

「まこまこちゃん(←勿論ここは、本当は本名ですわよ)はお元気?」
と聞いて下さったそうです。

そして。
「あの頃は私も若くて、なんかひどいことをしてしまった気がして
いまでも、ずっと気になっているのよ・・・」とおっしゃったそうです。

実にあれから40年弱。

そうそう。
確かにその先生は1番・2番くらいに、えげつなかった(笑)
親が別居したり、修復を試みて元の生活に戻ったり、やっぱしダメで
またまた引っ越したりしてたら、体育の教科書がどっか行っちゃったんだよね。

その時、それを先生に申告したら・・・
「親が離婚したり、だらしないから、そういう事になるんですよ!」
って言われた、それは今でもはっきり覚えてる(笑)

でも。
40年弱の歳月、いつもではないだろうけど
折に触れ、その事を気にして来たんだろうなあっと思ったの。

だって。
あのデキがいい従姉妹から、親戚のアタシが繋がるなんて
そーとー印象ないとムリだと思うもん(笑)

そんな事も気になって、行く事にしたのであります!

結局、その先生にはお会いできませんでしたけど
当時、お世話になった先生にお会いすることが出来ました。
その先生も、名前を名乗ると、瞬間!ソッコー!
あっ!っとのけぞって思い出して下さいました(笑)
実に40年弱ぶりなのに・・・ソッコー!

アタシ。
どんだけの問題児よ?(笑)

と言うワケで。
またひとつ。
封印物を克服することができましたっ。

アタシには辛すぎた小学校でしたが、そこでは子どもたちが
キラキラと楽しそうに生活していて、ずっと抱いていた暗黒イメージも
しっかり払拭されました。
懐かしい建物、遊具、教室・・・
白黒だった記憶の中のモノたちが、ちゃんとカラーで見えました。

ありがとう。
根気よく誘ってくれた糖尿病克服の能楽師君。
君のおかげですっ(笑)