稽留流産から自然流産までの経緯を忘れないうちに書いています![]()
前編は こちら です
同日9月12日 夕方 下腹部の激痛と超大量出血が始まる
前日の比ではないくらいの痛みと出血が始まり、立っていられない状態になりました。
それでも息子の夕飯だけは作らなくてはいけないと台所へ立ちましたが
手が震えて包丁が持てないし、洋服の上からも血がだらだら垂れて床が赤く染まりました。
仕事から帰ってきた父を呼び出し、とりあえず息子に夕飯を食べさせてもらいました。
息子には妊娠のことも流産のことも話していないので
「お母さんお腹が痛いからしばらくトイレにいるね」
と言って、DVDを見せました。
そこからは約4時間、大量出血が続きました。
手足はしびれ、意識も遠くなり、気絶した時間も何度かあったと思います。
最後に大きな塊を出した時、胎嚢が出たと感じましたが、
もう自分で取るほどの余裕はなく、床に倒れこむことしかできませんでした。
仕事を切り上げて帰ってきてくれた主人が胎嚢らしき塊をすくってくれました。
その後は痛みがかなり軽くなり、出血量も落ち着きました。
1時間ほど横になっていたら、意識もはっきりとしてきて、
血だらけになった体を洗いたくて、浴室へ。
くらくらしながらシャワーを浴びていたら、また出血。
突然意識が遠くなりました。
必死に「呼び出しボダン」を押し、倒れこみました。
主人に引きずられながら浴室から出してもらい、
そのまま脱衣所で横になり、意識がはっきりとするまで待ちました。
夕方から何も飲食していないけれど
お水も受け付けない状態。
でも感覚的にはバケツ一杯分くらいの出血をしているので
脱水や貧血が心配。
常備していた経口補水液のようなドリンクと、
甘酒を持ってきてもらい、少し飲みました。
22時過ぎごろ、立ち上がるとすぐに倒れそうになるので
2階の寝室へ、這って移動。
出血はまだ続いているので布団にはバスタオルを2枚重ねて敷いてもらいました。
横になっていると血が出ているのは自覚できて、バスタオルに染みているかも、
という感覚もありましたが、とにかく体のダメージが大きくて、動けませんでした。
後陣痛のような痛みがひどく、眠れません。
深夜2時ごろ、痛みがガマンできずに、病院の夜間連絡先へ電話。
経緯を話し、市販の痛み止めの薬を飲んでもいいかどうかを聞きました。
「いいですよ。あと、水分をちゃんと摂ってくださいね。食べられるようになったら少しずつ食べてください。明日、気を付けていらしてください。」
と言われました。
うちには薬がないので、実家に電話をして母に持ってきてもらい、
痛み止めを飲みました。
薬を飲んだのは息子の出産以来、約3年ぶり。
薬が苦手な私でも、とにかくなんでもいいから痛みを消したかったのです。
薬を飲んで、寝室へ戻ろうとしてもやっぱり立てる状態ではなく、
しばらく玄関で横になっていました。
30分後、痛みが軽減されてきたので、這って階段を上り、
寝室へ。
そこからようやく眠ることができました。
3時近かったと思います。
翌日9月13日 手術予定日前日
起きても、まだめまいや吐き気は続いていて、食欲もありませんでした。
もう全部出たはず、明日の手術はキャンセル、と自信を持って病院へ。
トイレで一生懸命ひろった内容物を全て提出しました。
初めて会う先生でした。大きな病院から非常勤で来ている教授で、おじいちゃん先生。
「大丈夫?かなり出血したでしょう?」
「まぁ…覚悟はしていましたが、すごかったです。でも、自然に出てくれるのを待ちたかったので。」
小さい瓶に入れられた赤と白が混ざったようなものを見せられ
「これが、赤ちゃんの組織だよ。白っぽい繊維状のもの。病理検査に出すね。」
人の形ではなくなっていて、細胞が分裂し、私の体内に吸収され始めていた状態でした。
エコー診察
なんか嫌な予感がしました。
「うーん、まだ少し残ってるね。これは手術した方がいいよ。」
「え…自然に出てきませんか?」
「子宮口も開いたままだから、細菌感染のリスクもある。
今すぐにでも手術した方がいいけど、今日一日薬を飲んで様子見る?
また明日、来てください。手術する予定で、準備してきて。」
「はい…」
「ちょっと子宮、押すよ」
激痛で泣きそうになったけど、耐えました。
「今お腹痛い?痛くていいんだよ。」
「は、はい…」
処方してもらった子宮収縮剤と抗生剤を飲むと
夕方自宅でまた大量出血と塊が。
その塊が、さっきエコーで見たものと同じ形をしていて、
これで出たはず、
あとは子宮が収縮するのを祈るのみ。
翌9月14日 手術予定日当日 11週5日
大丈夫、全部出たし、子宮も回復している
手術はしないで帰る
と、おまじないのように唱えて病院へ。
手術は全身麻酔なので前日の24時以降は絶食、
当日朝6時以降はお水も飲んではいけないので、
かなり体調は悪かったです。
昨日の先生ではなく、いつも指名していた優しい女医さんでした。
「踏ん張りましたね、痛かったでしょう?」
「はい…でも自分で選んだことなので。」
エコー診察。
「あ、まだ少し残ってるね…手前のは今ちょっと掻きだしていい?
痛かったらやめるから言ってね。無理しないで。」
「はい」
痛いけど、ガマン。
再びエコー。
「手前はきれいになったのわかる?奥にまだ少し残ってるね…これは麻酔して処置したほうが楽だよ?」
「自然に出てきませんか?」→しぶとい私
「うーん、痛いの大丈夫?」
「はい」
「じゃあ今、ちょっとやってみるね。痛みが耐えられなかったらやめるから。」
激痛。でもガマン。
そしてエコー。
「きれいになったの、わかる?これでもう手術はしなくて大丈夫ですよ。」
痛くて泣いているのか、嬉しくて泣いているのかわからなかったけれど、
ポロポロ泣けてきました。
最後まで全部自然に出てくれたらもっとよかったけれど、
手術よりはずっとマシ。
手術予定日当日の朝、ギリギリで全部出すことができました。
稽留流産と診断されてからちょうど2週間後でした。
来週経過観察の診察がありますが、ほぼほぼ大丈夫でしょう、とのこと。
まとめ
私は自然流産を選び、2週間待ちましたが、
誰にでもオススメできることではありません。
流産2回目の私でもとっても痛かったし、今回は痛みよりも出血によるショック症状?がきつかったです。
でも
さんざん「即手術」をすすめられても「手術予定日までに自然に出てくる」と信じて待ち続けたことは後悔していませんし、
手術によるリスク(子宮に傷がつくとか穴が開くとか)を回避できたことも良かったと思っています。
ネットで経験談を調べると、ごくまれに痛みや出血が少なかったケースもあるようですが
たいていは私と同様に激痛と大出血のようです。
今回の子は7週の検診の時に心臓が動いている様子をはっきりと確認できましたが、
2週間後にはもう人の形もなく、繊維のような状態になってました。
体内に吸収されたということですが、これは、本当に神秘的で、宇宙的だと思います。
妊娠も、心拍停止も、流産も、誰もコントロールすることができない、
まさに神のみぞ知る、という世界。
でも、私の気持ちは伝わったのかもしれません。
流産宣告から何も変化がなく一週間が過ぎた日の夜、
眠りにつくときにお腹の子とお別れをするメッセージを感じました。
そのときのことを ブログにも書きました。
その翌日から、出血が始まったのです。
そして、そこから6日間少量の出血が続き、
なかなか本格的に始まりませんでした。
それまでは「がんばって」とか「生きて」とか
お願いしたことは一度もなかった私ですが
「お願い、手術日までに出てきて。手術じゃなく、産ませて。」
と強い気持ちを伝えました。
その翌日、大量出血とともに始まりました。
神秘的で宇宙的な現象だけれど、
母親の気持ちは伝わるのかもしれません。
宿った命が消えてしまったことは悲しい事実ですが
体内に吸収されたということは
この先も永遠に私の中に生きているのかもしれません。
流産宣告を受けてすぐに手術をしていたら、体内に吸収される前に
摘出していたことになるかもしれません。
結果的に、2週間かかりましたが自然流産ができて私はよかったと思っています。
今回の子は出産予定日が息子の幼稚園入園式と重なっていました。
ただでさえ幼稚園に通うことに不安を感じている息子が、
私の出産により登園拒否をおこすのではないかと不安な気持ちでいっぱいでした。
もしかしたら、それを心配して延期してくれたのかもしれません。
そして、私の望みどおり、手術ではなく自然に出てきてくれました。
親孝行で、お兄ちゃん孝行な子でした。
最後に
一人でも多くの命が無事に育ち、ママと元気に対面できることを祈ります。