頑張ってる人間は偉いは間違いです。

 

努力は手段であり目的ではないんですね。

目的はあくまで生産性の向上です。そして努力とはそのための資源(リソース)の不足を補うことです。

ヒト、モノ、カネ、時間、情報。それらの資源が潤沢にあればいくらでも生産活動=仕事を行うことができます。しかし企業も個人も仕事を行う上で資源は限られているため何かは不足している。それを補填する手段がすなわち努力。ただし優れた技術、経験、ノウハウや仕組みがあれば資源の節減が可能になるので努力する必要も少なくなります。

努力は手段に過ぎないので、努力することそのものには実質的な価値は無いわけです。価値があるのは生産された製品やサービスといった結果。誰も他人の努力にお金=対価を払うわけではないです。

なので、がんばる=偉いは間違い。努力は自らの資源不足を補填するため自分の選択で行うことであって、誰かに評価されるためにやることでは全くない。そんなことは誰も期待してないですから。

 

ただ生産量やサービスの品質、あるいは競技の成績という点で「誰かに勝つ」ということが目的であれば努力はその目的に資するものであると思いますね。

また努力してしている人を褒めるという行為は、その人が努力を継続した末に将来的には向上させるであろう生産性を見越して事前に評価していると見ることもできなくはないですかね。まわりくどいですが。