責任 | 『もの想い』macoto

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この日本という国はいつから責任という言葉の意味が


変わってしまったのでしょうか




誰それの発言が不適切だからとか


誰それの行動がどうのこうのとか


責任を取って辞めなさいと押し付ける




誰も彼もが自分以外の誰かに


事の問題に対して吊るし首のように


責任を取らせようと必死になっている




本来の責任の意味は


何かに対して応答する・返答することで


責任の字からみても


責められるべき相手に任せるとも取れる




つまりある行為(しないことも含む)や結果に対して


自由な行為・選択をその当人が出来る状態にあり


その自由に対しての責任を当人がどうするか決める




それが本来の意味での責任なのではないでしょうか




もちろん現代では法治国家である国が大半を占めており


この日本も法を犯した場合は法に基づいた責任がある


しかしその場合は除くほどんどのことは当人が決めること


責任をどう取るのかは当人に委ねられるべきはずなのに


他人がそれを決め いかにもな理由を盾に判決を下す




マスメディアは自分たちの正義を視聴者に押し付け


いかにもな悪役を編集により作り出し


視聴者はその情報を鵜呑みにし叱責し叫ぶ


物事を都合のいいように歪曲する側にも責任があるし


その情報を確かめもせず人を責める側にも責任がある




たとえそれが間違いや不正確な情報だとしても


報道の自由や表現の自由と声高に叫び悪びれる様子もない


本来であれば自由には必ず責任が伴うものなのに


自分たちマスメディアや批判する者たちとしての


責任は取らないことが多々あるのが今の日本




あれだけ歪曲した報道をしたり不正確な情報を流し


本位でもない発言や揚げ足取りをして責任を追及して


当人の人生を狂わせたという責任については


ほんの数秒の謝罪や担当者の解雇だけでは


済むような問題ではないのでしょう




この国のマスメディアの在り方や情報の取り扱い方


そして受け取る側の倫理や判断能力の低下


物事をよく考えなくなった国民性について


それこそ一人一人が自分自身の責任について


しっかりと考えて行動するようにならなければ


無責任な者によって責任感のある者が潰される




果たして美しい日本がそんな姿になっていいのだろうか




そんな近年の日本に対して憂う今日この頃です


辞めるだけが責任の取り方ではなく


説明したり原因追及したり再発しないように


今後の行動で示すことが大切なのではないかと


自分の胸には強く刻みたいと思います






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