「会える」って
本当に大きい事なんだって、つくづく思います
実際にはまだ「会えるかもしれない」だけれど
その希望だけで
なんだか現実に引き戻された感じがした
「唄い屋が居る現実の世界」です
1年は早いけど
やっぱりそれなりに長くて
1年前に会った日から
存在が少しずつ遠くなっていって
現実にそこに居るっていう
実感が薄くなってしまう
毎年これを繰り返す
だから今だに私にとって唄い屋は
憧れの存在だったりするわけです
会えない憧れの人は
強烈な思い出も
だんだんと優しい落ち着いた時間になって
時々忘れたりもする
でももし
例えば二ヶ月後にまた会えるのならば
そして変わらずに輝いていてくれれば
好きでい続けられる
どんどん素敵になっていたら
それまで以上に
もっと惹き付けられる
それを年に何度も繰り返せたら
私の中に積もっていく唄い屋は
どれ程の大きな存在に
なってくれてたかな
「東京」の歌詞にある雪は
黒いものを消してくれるけれど
雪が降り積もるように
私の12月の記憶は
少しづつ消えてしまっていってた
でも
毎年このお知らせを聞くと
ぐっと胸の中に力強く蘇ってくる感覚があるのです
鳥肌立ちますよ
1年ぶりの感覚は
そしてちょっとつま先が冷たくなったりもする
血の気が引く
こうして今になって思えば
雨不足の枯れた想いに
降ってくるきらっきらの雨は
1滴も残さずに吸い上げられて
全身をすっぽり包んでくれて
本当に幸せを感じる事が出来るのだけれど
雨が降る前に
その地に住むことを諦めて
離れてしまう
そんなことになる日が
来ないといい
日本行きの日は
今年も6月初めには決まっていて
もう、ライブも行かなくていいと
仕事と娘の都合だけに合わせて
温泉に行こうか、とか
夜も美味しいレストランで食べようね、とか
ライブのことは忘れて予定を立てて
ちゃんと楽しみにしていたのです
12月のその頃はいつもクリコンがある日
期待?もあったけれど
もし同じ東京に唄い屋が居て
唄っていたとしても
わたしは娘とディズニーランドで
夜のパレードを見るつもりだった
もしももしも最後の日に
何となく何となくチケットが取れて
ふらっと立寄れでもしたら
会いに行けるかな...
そんな感じで
いいかなって
じつは思ってた
昨年はそんな風には思わなかった
でも今年はそう思った
だからね
やっぱり
「会いに行けること」は
とっても大きなことだと思うのです
当たり前じゃないんだ
好きで居られることって
気持ちは離れるかもしれないんだ
会えなかったら
だからこうしてまた今年も
会いに行けるかもしれないこと
これが縁だと思うのです
消えずに残っていてくれる
また会いたいって思わせてくれる
会いたいと想えるように
惹き付けておいてくれる
魅力と力強さに感謝
また1年繋がったね
つい昨夜まで
エントリーは16日だけにするつもりで
全く迷いがなかったのだけれど
娘がすんなり
「2日間行けばいいじゃん」(笑)
本当にそんな気はなかったから
びっくりで嬉しくて...
「いつも私が映画みたり
遊びに行くのにお金払ってくれてるんだし
2日間くらい付き合うよ」なんて...
優し過ぎる...
うちはさ
家族旅行なんて年に1度
この日本帰国だけで
あとは特に何もしてあげてなくて
東京で過ごす3日間は
彼女にとっても物凄く特別な3日間
だからその3日間を
少しでもたくさん楽しい思いをして欲しくて
ママの我儘はやめたんだ
今まで勝手でごめんとか、思ったのに...
いいんですって。
2日間ライブに行っても。
清木場はMCも面白いから、って(笑)
あと1日目と2日目の違いも楽しいからって!
私の好きな唄、唄うかな♪って(泣)
今年はこんな様子でした
1年1年
違う思いでエントリーします
出逢ってから6年
いつも
やっぱり幸せです
今年もクリコン開催してくれてありがとう

そして力を貸してくれる友にありがとう

当たりますように
会えますように

