経済のページ
キャッシュレス化4割でどうなる
専修大学経済学部教授 小川健氏に聞く

2024/06/03 6面


 コロナ禍をきっかけにクレジットカードや電子マネー、2次元コードなど多様なキャッシュレス決済が日本でも急速に浸透した。政府は2025年までに消費全体に占めるキャッシュレス決済額の比率を4割程度と目標に掲げたが、23年で過去最高の39.3%を記録している。キャッシュレス化の意義や効果などについて専修大学経済学部教授の小川健氏に聞くとともに、政府がどのような社会像をめざしているのか解説する。


■手間とコスト大きく軽減/韓国では9割超す比率に

 ――キャッシュレス推進の意義と効果は。

 現金を扱う手間とコストが軽減されます。現金決済では、お釣りに対応するために店舗側は紙幣や硬貨を常に用意しておく必要があります。さらに売り上げ精算などで現金を数え、両替するなど管理・輸送に労力や時間がかかり、その分だけ人件費の支出が増えます。キャッシュレスであれば、決済や精算にかかる時間も大幅に短縮され、お金の数え間違えなどのリスクを抑えることができます。

 人手不足が懸念されるからこそ、こうした導入メリットの価値は大きくなっていくでしょう。客側も会計をスムーズに済ませられ、わざわざ現金を持ち歩く必要が減り、利便性の高い社会へとなります。

 ――国内の普及状況をどう見る。

 感染症対策としての“特需”もあり、「25年までの4割程度」は達成できるでしょう。それでも進んだ国と比較して、決して普及率が高いわけではありません【グラフ参照(各国のキャッシュレス決済比率)】。特に、同じ東アジアの韓国・中国大陸とは大きな差が開いているのが実情です。経済産業省はキャッシュレス決済比率を「将来的には、世界最高水準の8割をめざしていく」としていますが、これは時間をかければ達成できるというレベルではないと認識すべきです。

 既に9割を超えている韓国は、1997年にアジア各国で広がった通貨暴落の経済危機(アジア通貨危機)の際にIMF(国際通貨基金)などの支援を受ける条件の一つとして、ほとんどの店舗にクレジットカード対応が義務化されたという事情があります。これは税把握に必要な決済記録を残すためです。中国大陸でも、そもそも現金に対する信頼度が低い背景もあり、スマートフォンの普及に伴って「Alipay<アリペイ>」「WeChatPay<ウィーチャットペイ>」の2大コード決済アプリが台頭していきました。日本の事情とは異なり、どちらの国にもキャッシュレス決済が普及できる土壌があったわけです。

■サービス乱立、普及促進へ互換性必要

 ――日本の事情とは。

 ここ数年でコード決済アプリが使える店舗が増える一方、顧客データの確保や給与のデジタル払い、マイナポイントへの対応などでサービスが乱立している状況です。アプリ間の互換性がないために店舗によって利用できる決済サービスが異なり、不便な状況になっています。

 キャッシュレスに限らず日本のさまざまな業種で起きていることですが、サービス提供会社や地域によって独自の規格を持つ傾向にあります。その結果、系列店の外に広がりを見せにくく、囲い込みの手段と化しています。

 ――サービス間で連携はできないのか。

 交通系ICカードでは、2013年から全国相互利用サービスが展開されています。ただ、これは全国どこでも相互利用できるサービスではなく、「Suica<スイカ>」や「PASMO<パスモ>」など10種類の主立った都市部交通系ICカード(以下、10カード)の規格を相互利用可能にした上で、地方へ一方的に解放したことで実現されたものです。

 例えば、10カードが使用できるエリア間であれば互いのカードを利用できます。しかし、10カードに含まれない札幌市営地下鉄「SAPICA<サピカ>」エリア内ではスイカが利用できるのに対し、その他のスイカエリア内ではサピカが利用できないような仕組みとなっています。

 また、未だ交通系ICカード自体が使えないエリアが多く、技術的・地域的な背景から規格が分断されて統一化が難しい実情が見受けられます。

■手数料で導入ためらう

 ――今後の課題は。

 店舗側でキャッシュレス決済を導入するには、専用端末といった設備のほか、サービス手数料などの費用負担が生じますが、今ではレジに2次元コードを1枚提示しておけば、キャッシュレス決済を導入できる時代です。ただ、規模の小さな店舗ほど効果を実感しづらく、サービス手数料を理由に導入をためらってしまいがちです。

 こうした問題の解決策としても、政府と日銀は手数料なしで利用できる「デジタル円」などのCBDC(中央銀行デジタル通貨)導入に関する検討を行っています。もしデジタル円が国内で導入されれば、多様化するコード決済サービスの統一化への障害が取り除かれるかもしれません。

■メリットの丁寧な周知図れ/セキュリティー対策強化も

 ――現金は無くなっていくのか。

 完全に無くなるとは考えにくいです。決済などのやりとりは、基本的には当事者間の合意に基づきます。日本での現金に対する信頼度は高く、お互いが現金での決済を望めば、それを法的に禁止する理由はありません。そうした中でキャッシュレス化を推進していくには、店舗側や客側が納得してサービスを利用できるよう取り組むことが重要です。

 かつてのポイント還元を呼び水にするような政策だけでは、さらなる広がりが見込めなくなっています。政府は、ポイント以外の導入メリットを分かりやすく丁寧に伝えるリカレント(使いこなす能力)教育に力を入れていくべきです。また、安心してキャッシュレス決済を利用するため、サービス提供側には障害発生時の対応をはじめ、不断のセキュリティー強化を図るなどシステム面の改善にも取り組んでもらいたいです。


 おがわ・たけし 1982年生まれ。理学部数学系より大学院から経済学の道に入る。2011年に名古屋大学経済学研究科社会経済システム専攻博士課程修了。その後、経済産業研究所で非常勤リサーチ・アシスタント、広島修道大学助教、専修大学講師・准教授を経て、23年から現職。


<解説>
■デジタル社会の実現へ/データ連携で付加価値

 経産省は18年4月に策定した「キャッシュレス・ビジョン」でキャッシュレス決済比率を25年までに4割程度にすると掲げ、定期的に算出・公表しながら推進している【グラフ参照(日本のキャッシュレス決済額と比率の推移)】。これまではキャッシュレス・ポイント還元事業などを通じ、店舗・消費者双方に対してキャッシュレス決済の利用を促進。着実に社会に浸透させてきた。

 同省は、現金決済インフラを維持するためのコストが年間2・8兆円に上ると推計。キャッシュレス決済を、こうしたコストの削減や業務効率化・人手不足対応などの課題解決につなげていきたい考えだ。また、データ連携・デジタル化や多様な消費スタイルといった利便性の高いデジタル社会を実現するのに欠かせない役割と位置付け、キャッシュレス決済で生み出されるデータの利活用で生産性の向上や店舗・消費者・サービス事業者がそれぞれ付加価値を享受できる社会をめざす。例えば、コンビニなどで現金を扱わないセルフレジや無人店舗といった新たな技術・サービスの創出につなげていく。

■外国人の顧客増にも期待

 このほか、キャッシュレス決済が当たり前のインバウンド(訪日客)への対応をはじめ、市場が拡大している海外との越境取引の決済手段としても有用性が期待される。外国人の顧客を取り込むためのキャッシュレス環境の整備も急がれている。