解説ワイド
関心高まる「市民科学」
一般市民が調査・研究に参画

2024/04/03 4面
 一般の人々が科学研究に参加する「市民科学(シチズンサイエンス)」。近年、世界的に急速に広まり、日本でも関心が高まっている。対象は生物や自然現象が主流だが、地球環境問題や防災など多岐にわたり、研究者だけでは困難な新たな発見や成果をもたらす例も出ている。存在感を増す市民科学について、その概要や取り組み事例を紹介するとともに、東京都市大学の小堀洋美名誉教授に話を聞いた。


■生物多様性プロジェクトにSNSで世界700万人が登録

 市民科学は、多様な市民の力を結集して科学的な成果を追求したり、社会課題の解決に役立てたりするのが特徴だ。言葉自体は1990年代に英国と米国でそれぞれ提唱されたが、これに相当する活動は市民の興味・関心に基づいて90年代以前から行われてきた。

 代表的な分野の一つに天文学がある。古来より多くの人々の手によって観測・研究が続けられ、今も世界中のアマチュア天文家が、新星や彗星などの探索に貢献し続けている。  

 また、専門知識を持たなくても参加できるプロジェクトも数多い。中でも2007年に英オックスフォード大学の研究者らが始めた「Galaxy Zoo(ギャラクシー・ズー)」はオンラインを通じた市民科学の有効性を広く認識させた事例だ。

 90万個以上の銀河の画像をウェブサイトに表示し、銀河の形態ごとに分類するもので、研究者だけで進めるには限界があった。そこで市民の協力を募ったところ、10万人以上が参加し、わずか半年で目標を達成した。一つの画像について複数人が分類したことで精度も高まり、専門家による分類と遜色なかったという。

 得られたデータを基に60本以上の論文が生み出されるとともに、市民科学プロジェクトを集めた世界屈指のポータルサイト「Zooniverse(ズーニバース)」が設立されるきっかけにもなった。

 世界各地に生息する生物種の解明や保護に貢献できるSNS(交流サイト)も人気を集めている。

 世界700万人以上が登録している「iNaturalist(アイナチュラリスト)」は、生物種の観察記録や分布情報をスマートフォンの専用アプリなどを通じて投稿・共有できる。専門家や他のユーザーが種を明らかにする「同定」を行うと、研究用データとして国際的なデータベース「GBIF(地球規模生物多様性情報機構)」に送付される仕組みだ【図参照】。

 地球上で確認されている生物は約175万種あり、未知の種も含めると500万~3000万種と推定されている。生物種の基礎データを収集する役割は大きく、生物多様性の変化の観察や、外来種の生息確認にも成果を上げている。

■防災や温暖化防止でも貢献

 日本でも多様な市民科学が試みられ、市民が大きな力を発揮している。 

 地震学や歴史学の研究者らでつくる京都大学古地震研究会などは2017年から、オンラインで歴史資料の解読を一挙に推し進めるプロジェクト「みんなで翻刻」に取り組んでいる。

 地震や洪水など過去に起きた災害を記録した史料を防災に役立てようとする研究の一環で、古文書につづられた「くずし字」などを現代の活字に直す「翻刻」を行う。ボランティアの手で入力された文字は今月2日現在、3100万字を超え、1700点以上の史料の翻刻を完了させている。

 地球温暖化の抑制につなげようと、温室効果ガスのうち一酸化二窒素(N2O)の強力な消却能力を持つ土壌微生物を探しているのが東北大学発のプロジェクトだ。

 N2Oは主な発生源が農地で、温暖化をもたらす能力は二酸化炭素の約310倍高い。このプロジェクトでは市民の協力で、全国の土壌サンプル2500点以上が集まり、一部にN2O濃度が減少する土壌が含まれていたという。

 こうした市民科学ならではの新たな研究成果が生まれることが今後も期待されている。

■東京都市大学名誉教授 小堀洋美氏に聞く

■参加容易にしたICTの普及/情報一元化など後押し必要


 ――市民科学の広がりをどう見るか。

 小堀洋美名誉教授 市民による市民科学への貢献は、今や研究のみならず、環境保全をはじめ身近な地域から地球規模の、さまざまな課題解決に生かされるようになっている。

 背景にはICT(情報通信技術)の急速な進展・普及があり、世界中の市民が研究に容易に参加できるようになったことが大きい。国境を越えて膨大な情報のビッグデータを収集することも可能となった。

 特に生態学・環境分野への貢献が目覚ましい。具体的には、科学者だけでは難しい空間的・時間的に広範囲にわたる生き物の観察・調査などが挙げられる。

 また、住民と行政が連携した道路などのインフラ管理、防災、国連が掲げるSDGs(持続可能な開発目標)にも広がっている。

 ――協力する市民側にとっての利点は。

 小堀 自らの関心や興味に基づいて科学研究に参加できることだ。これを通じて科学が“自分ごと”として、より身近になる効果がある。新たな知識や調査方法の習得にもつながり、市民の学びにも貢献している。

 科学の歴史は長く、関心を持つ市民の取り組みから始まった。しかし、19世紀末にはプロとアマチュアの差別化が進み、科学研究は大学や研究組織など一部の専門科学者に限られるようになった。科学は私たちの暮らしに恩恵をもたらしてくれる一方、細分化・巨大化して、市民に遠い存在になっていった経緯がある。

 近年、科学研究のデータの共有・利用をしやすくするオープンサイエンスが活発化し、市民に開かれた科学の“見える化”“社会化”が進んでいる印象だ。

 ――社会課題を解決する手法としての期待も高まっている。

 小堀 市民科学そのものが、市民と科学者らに、それらの解決をめざす機会をもたらしているとも言える。

 気候変動や生物多様性の危機など緊要な社会課題は山積し、複雑化している。解決するには、科学者や行政の力だけでは不十分で、まさに市民の出番の時代が来ている。今後、イノベーション(革新)をもたらす可能性は十分にあるだろう。

 ――さらなる普及をめざす上での課題は。

 小堀 日本では、まだ認知度が低い。より多くの人に知ってもらい、関われるようにすることが欠かせない。

 また、データの収集や調査に協力する「貢献型」の市民科学は国内外ともに多くあるが、市民がそれ以上に主体的に考え、科学者や研究機関を対等なパートナーとして共に取り組んでいける「共創型」を増やしていくことも重要だ。

 各プロジェクトの工夫も求められる。市民が楽しく持続的に参加できるよう、教育的な学びや成果を積極的に共有していくことが必要だ。

 ――行政による後押しは必要か。

 小堀 市民科学が盛んな米国では、市民科学に関する法律ができ、政府機関の業務に効果的に取り込める権限を付与している。またEU(欧州連合)は、市民科学を政策決定に生かす姿勢を打ち出している。日本も同様に、国が先導して取り組まねばならない時期が来ているだろう。

 市民科学の発展に向け、積極的な財政支援や、別々にある市民科学プロジェクトの情報・データを一元化するシステムの整備などが求められている。


 こぼり・ひろみ 東京都生まれ。日本女子大学大学院修士課程修了。農学博士(東京大学)。日本環境学会会長など歴任。現在、一般社団法人生物多様性アカデミー代表理事を兼務。著書に『市民科学のすすめ』(文一総合出版、2022年)など。
「みんなで翻刻」で扱う史料の一つ「安政大地震繪」(国立国会図書館デジタルコレクションより)