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雇用を考える=上
働き方に見合う待遇とは

水町勇一郎・東京大学教授に聞く
2023/07/25 3面
 少子高齢化によって労働力人口の減少が懸念されている日本。多様で柔軟な働き方を自分で選べる「働き方改革」を進め、多くの人材が活躍できる環境整備が急がれる。そこで、「雇用を考える」と題し、上下2回にわたって、この問題を特集する。今回は、働き方に見合う待遇について取り上げ、水町勇一郎東京大学教授の見解を紹介する。(<下>は8月22日付3面に掲載予定)


■終身雇用、年功賃金など正社員中心の“日本型”に限界

 ――雇用を巡る現状をどう見るか。

 「終身雇用」「年功賃金」「企業別労働組合」を特徴とし、戦後に定着した、正社員(正規雇用労働者)中心の「日本型雇用システム」は、限界に来ている。このシステムの枠外に置かれた、契約社員やパート社員などの非正規社員(非正規雇用労働者)が雇用者全体の約4割を占めるまでに増えている【棒グラフ参照】。正社員に比べ、非正規社員の賃金水準が低いなど、両者の待遇の格差は大きな問題だ。

 2019年4月施行の働き方改革関連法や企業独自の取り組みによって、格差是正が前進してきた面はある。不合理性の判断例を政府が示した「同一労働同一賃金ガイドライン」に基づき、非正規社員にも諸手当を支給する動きが広がっている。しかし、日本型雇用システムの本丸、つまり基本給や賞与、退職金といった賃金制度について格差是正の取り組みが遅れている。正社員の長期雇用を促すものとして、特に大企業で格差が大きく残っている。

■同一労働同一賃金の確立が急務

 ――非正規社員の正規化は解決策になり得るか。

 確かに、不安定な立場の非正規社員を安定的な正社員にしていく発想はあって良い。一方で、正社員のあり方自体も曲がり角を迎えている。今のままで生産性を上げ、業務を効率化できるのか。優秀な人材を集められるのか。ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)やメンタルヘルス(心の健康)の観点から、長時間労働をなくすなど、正社員も働きやすい環境にしていくことが重要だ。

 正社員の多様な働き方が実現していけば、正社員と非正規社員の境界もなくなっていくはずだ。重要なのは、どのような雇用形態でも納得できる待遇にしていくことであり、同一労働同一賃金の確立が不可欠だ。

■働く人全員を保険の対象に

 ――働き方の処遇格差が社会保障にもたらす影響は。

 雇用保険、健康保険、厚生年金保険が挙げられる。例えば、加入条件の一つである「所定労働時間の週20時間以上」は、複数の企業で働く場合、その時間が通算されない。そのため、副業・兼業する非正規社員は少なくないが、いずれかの勤務先で週20時間以上でなければ、原則として保険に加入できないのだ。 

 雇用形態が大きく変化する実態に現行制度が合っておらず、労働者のセーフティーネット(安全網)が十分なものになっていない。多様な働き方を阻害しているとも言える。こうした基準は撤廃し、フランスなどの国でも見られるように、短時間の勤務や少額の賃金でも、働いている人全員を制度の適用対象にするよう改善すべきだ。

 また、年収が一定額以上になると社会保険料の負担などで手取り収入の逆転現象が生じる「年収の壁」の存在が就業調整につながっている問題もある。これについての議論は昔からあり、最低賃金の上昇に伴って政治的に注目されるようになった感があるが、公平かつ実効性のある対策を望みたい。

 加えて、社会保険料の構造的な逆進性も公平の点で問題がある。徴収金額に上限があり、所得の多い人の方が負担割合が小さくなる「逆進性」があるからだ。所得の再分配のあり方として、よく検討していく必要があるだろう。


 みずまち・ゆういちろう 1967年生まれ。東京大学法学部卒。東北大学助教授、パリ・ナンテール大学客員教授、東大准教授などを経て、2010年より現職。専門は労働法学。政府の「働き方改革実現会議」議員も務めた。



<ポイント解説>
■(非正規の増加)人件費抑制が狙い

 バブル経済崩壊後、非正規社員が増えるきっかけとされるのが、日本経営者団体連盟(現・日本経済団体連合会=経団連)が1995年に発表した提言「新時代の日本的経営」だ。終身雇用などを柱とする「日本型雇用システム」を見直し、契約社員などの非正規を「雇用柔軟型」として位置付け、人件費抑制のために活用することを促した。

 2022年の非正規社員の月給(約22万円)は、正社員(約33万円)の7割弱【折れ線グラフ参照】。パートタイム・有期雇用労働法では、同一企業内の不合理な待遇差を禁じている。欧州諸国の平均が「正社員の8割超」とのデータもあり、非正規社員の待遇改善が急がれる。

■(雇用保険)課題は加入率の低さ

 労働者のセーフティーネットとして位置付けられている雇用保険制度。失業や傷病などによって就労の継続が困難になった場合に必要な給付を受けることができる。

 バブル崩壊後、保険の適用範囲は拡大されてきた。例えば、1994年に加入条件である週所定労働時間が22時間以上から20時間以上に短縮。2001年に年収要件が廃止されたり、17年に65歳以上の高齢者も適用対象に加わったりしている。

 一方、19年度の加入率を就業形態別に見ると、正社員の92・7%に対し、非正規社員は71・2%と、加入率の低さが課題に挙がっている。

 また、日本は「国民皆保険・皆年金」を実現しているものの、正社員に比べて非正規社員の支援が手薄だ。そこで、政府の「全世代型社会保障構築会議」が昨年12月に取りまとめた報告書は、厚生年金や健康保険の加入を拡大する「勤労者皆保険」の実現を柱に据えている。

■(「年収の壁」)働き控えを招く

 「年収の壁」とは、主にパートタイム労働者の給与が一定の水準を超え、社会保険料や税の負担が発生し、手取りが減る状況を指す【図参照】。

 例えば、年収が130万円を超えると、会社員の配偶者が入る社会保険の扶養対象から外れる。厚生年金と勤め先の健康保険が適用されるようになり、給与から保険料が天引きされて手取りが減る。これが“130万円の壁”だ。最低賃金の上昇に伴って、こうした負担増が意識され、働き控えを生じさせている。

 政府は「年収の壁」を意識せずに働ける環境の整備に向け、労働時間の延長や賃上げに取り組む企業に対する「支援強化パッケージ」を年内に策定し、制度の見直しを進める方針だ。