ファイターズOB 木田勇さん その2。
木田さんの激動の半生その2です。
高校卒業後は、社会人野球の名門に入社。3年半もの間、練習試合にすら出れなかったが、寮から職場、職場からグランドと、移動のすべてをランニングに費やし、足腰の強化に励んだ結果、社会人6年目に全日本代表に選出。
そして、80年に日本ハムファイターズに入団。
1年目は活躍したものの、2年目以降は鳴かず飛ばずの成績で、結局3球団を渡り歩き目立った活躍が出来ないまま、90年に11年の現役生活に幕を閉じた。
しかし、その後指導者として野球界に残りたかったものの話はなく、志半ばにしてプロ野球から離れることに。
野球への未練を断ち切るため、印刷会社に就職。野球しか知らない世間知らずだったが、持ち前の根性で営業次長まで昇進。
だが、2003年木田さんを励まし続けていた母親が認知症になり、妻だけに負担をかけたくないと、悩んだ末に退職。
アルバイトで生計を立てながら、母の介護に取り組んだ。「幸せでした。苦しい時、いつも支えてくれた母に恩返しができたんですから」
そんな木田さんにチャンスが訪れたのは2006年。BCリーグ、信濃グランセローズの監督にと打診があり、その2年後、現在の立場(地域貢献担当マネージャー)に。
地域貢献を掲げるBCリーグだが、木田さんのような立場が設けられるのは初めてのこと。
「その分、使命も大きく、やりがいもある。困難に挑むと勇気がわく。そして、夢を実現させることができた。いよいよ、これからが本番です!」
・・・木田さんが長野県内でこんなことをやっているなんて知りませんでした。うちの地域にもきてたみたいです。
野球を通じて地域の活性化ができ、また、子供たちに夢を与えることもできるなんて本当にすばらしいことです。
華やかなプロ野球の世界ですが、成績を残せないと厳しい現実が待っています。
しかし、そんな逆風にも打ち勝った木田さん。木田さんの挑戦はまだまだ続きます。同じ長野県在住の身としてこれからも応援したいと思います!



