宮城の多賀城市で救援物資を届けて回ってる
私のいとこから写真が送られてきました。
『助かりました』
『これで何日か生き延びることが出来ます』
「ありがとうございます」といって、泣き崩れるおばあちゃん・・・
今は多賀城市から隣の七ヶ浜町で活動中。
そして、避難所、市役所、町民館など
救援物資を運んだ場所では
笑顔が見られた被災者の方ですが
悲しいですが、震災から8日・・・
まだまだ、これが現実です・・・
カミサンの従兄弟はドクターカーで
震災2日後に女川に現地入りしましたが、
同じ、復興支援でも全く様相は違っていたようです。
救援物資を運んだ私の従兄弟は
みんなから喜ばれますが状況は対照的
病院に次々と運び込まれる
震災でなくなった被災者の方々
安置所も一杯でどこに置かれるわけでもなく
さながら戦地の野戦病院・・・・・
駆けつけたご家族の声にならない鳴き声と悲鳴
一日中、なんども「ユッサ、ユッサ」とゆられ一睡もできない日々
その、顔には笑顔はほとんどなく
いつも冗談ばかり言っている彼が
口も重く、目を伏せがちでした・・・
遠くは離れた地の地震ではあるが
時を同じくしてこちらも地震があり
未だに続く、大きな余震・・・
今後も「自分の出来る範囲で、出来る事」を
続けていきたいと思います。
海外で話題になっている「Fukushima 50(フィフティーズ)」
これは、事故後も原発で懸命に闘っている
原発作業員の事を言っているようですが
作業員も50人では被ばく量からも
すぐに作業が出来なくなってしまうので
180人以上の体制になったようです。
どんなに仕事が出来るひとでも
年間の被ばく量を超えての作業は出来ません・・・
現場がそれに沿って、
きちんと被ばく管理をしながら
作業してることを切に願います。
責任感のある作業員の方達ですが
決して、アラームを付けないでの作業などしないでください。
何となく現場はそんな雰囲気になってるかと思い
ちょっとだけ、怖くなったので・・・
ひとまず、自分たちが5日間で集めた救援物資が
必要してる方たちの元に届いたことに
ホッとしているところです!!




