明治元年から150年
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平成30年春の特別展『江戸幕府、最後の闘いー幕末の「文武」改革ー』
にいってきました。
幕末期の江戸幕府に焦点を当て、江戸幕府公文書を中心に、幕末期の江戸幕府の「文武」改革について取り上げてた特別展。
備中松山藩藩主で江戸幕府老中だった板倉勝静さまからの書状。
宛先が小笠原長行さまだったり、知った名前が出てくると萌えるわぁ。
板倉さまも、松平定信さまのお孫さん。
それにより、宗家と殉じた方のひとり。
写真のお二人は、ペリー再来訪次に通訳をつとめた森山栄之助さんと立石得十郎さん。
森山栄之助さんは、以前、鵜飼玖美子著『本当の英語力』(講談社新書)で、幕末、アメリカ人から英語を教わった通詞がいると知り、彼のことをもっと知りたいと、吉村昭著『海の祭礼』(文春文庫)を読んだこともあり、こんなところでまたお会いできるとは!
そして・・・
鳥羽伏見で、幕府軍と薩長軍との戦いがはじまり、幕府軍が敗戦したとの知らせをうけ、徳川慶喜は会津藩主松平容保や、その弟桑名藩主松平定敬などを伴い、大阪城から抜け出し、幕府旗艦の開陽丸へ。
(2つ上のオランダ留学生の写真にお戻りください)
後列左から3番目が開陽丸の艦長。かまさんこと榎本釜次郎(武揚)
かまさんは、海戦の報告をしに陸にあがり、ちょうどその頃、慶喜さまご一行は海へ。
入れ違い!スレ違い!あー。
艦内にいたのは、前列左の沢太郎左衛門さん。
いきなり、高貴な人たちが乗り込んでくるから、あわあわ。
時間を稼ぎ、かまさんを待つも無念。
かまさんをおいて出航。