叶井俊太郎(映画宣伝プロデューサー)


■父は5回、子は4回結婚

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こうして自己破産に追い込まれた叶井氏は現在、私生活でも逆風に見舞われている。昨年11月、前妻が叶井氏と倉田氏を相手取り、東京地裁に提訴。前妻は、倉田氏が妊娠したのは叶井氏との離婚前と主張し、「2人の不倫により、精神的な苦痛を受けた」として2000万円の損害賠償を求めている。

叶井氏は過去3度の離婚を経験し、倉田氏は4番目の妻。結婚当初は「経験人数600人」という派手な女性遍歴も話題になった。

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僕の父は、小学校1年生のときに母と離婚しているんです。

でも、それを知ったのは、僕が高校に入ってから。バイクの免許をとるために住民票をもらったところ、苗字が変わっていることに気づいた。「あれ、これどういうこと?」と母親に聞いたところ、「何をいまさら言ってるの。もうあんたが小学生のときに離婚しているわよ」と言われて。妹に「離婚していること、知ってた?」と聞いたら、妹は「知ってるよ」。

結局、僕だけ離婚を知らなかったわけです。まあ知ったときには思春期を通り越していたので、グレるということはありませんでしたけど。

実は、僕の実父は生涯で5回も結婚を経験していました。だから、くらたまに言わせれば、「お父さんに比べたら、あなたはまだまだ小粒」ということになります。 父親は多忙な新聞記者だったので、幼い頃から月1回程度しか会ったことがありませんでした。父が作った異母兄弟は、15~16人います。

あれは、たしか僕が20歳の頃でした。父が「一応、家族を全員紹介するよ」と言ってくれ、ある中華料理屋に呼ばれたんです。父を囲む円卓には、母親のほか、見たこともない女性が3~4人いました。それぞれの女性の隣には、初対面の子供が2人くらいずつ座っていました。
父は「よし、ひとりひとり自己紹介しろ」って。まず僕が「長男の俊太郎です」と挨拶をしました。僕はすでに20歳だったので、「こんなに兄弟がいるのか」と面白がっていたわけです。でも、小さい子供たちは意味がわからず、次々に泣き始めちゃって。あれは壮絶な食事会でしたね(笑)。それ以後、異母兄弟とは一度も会っていません。

僕も結婚回数を考えると「父の後を追ってるな」という気はします。 最初の妻は、26~27歳のとき。相手は出版社の編集者でしたが、10ヵ月くらいで別れてしまいました。2番目の妻も元編集者で、いまはIT関係の仕事をしているようです。

現在、裁判で揉めているのは3番目の妻です。彼女は、いわゆるスピリチュアル系の女性でした。だけど僕はホラー系なんですよね。いま裁判で彼女は、「叶井俊太郎は猟奇的な趣味があり、子供に悪影響を与えていた」と主張していて、ほとほと困っています。

実は、3番目の妻に提訴された直後、2番目の妻からも連絡がありました。「3番目の人に2000万円を払うのだったら、私にも200万円でいいから払って」と。「いや、意味がわからない。それ、どういう意味?」と聞いたら、「気持ちの問題だから」って……。 拒否しても何回もメールがきて、「200万がダメだったら、150万でいい」と書いてありました。だから、そういう問題じゃない(笑)。

巷で言われている“ヤリチン伝説”は、もう封印しています。 一番遊んでいたのは、10~20代の頃なので、かなり昔の話になります。高校3年間は夏休みになれば、かならず新島の女の子専用の民宿でアルバイトをしていました。当時は「ナンパ島」と言われていたところです。一日3~4人の女の子とセックスしていました。夜になると、宿泊している子に「部屋で飲もうよ」と声をかけ、少し飲んでは普通にパンパンと始めちゃって。その時代、もう一生分のセックスをしましたね。

高校卒業後、ハワイに3年ほどいました。現地では、日本語放送局でDJのバイトをしていました。ワイキキビーチにテープレコーダーを持っていき、観光客にインタビューするという仕事です。コーナー名は「ココナッツ数珠つなぎ」。観光に来ていた女の子に声をかけ「お友達を紹介してほしい」とお願いし、友達の輪を広げるという企画でした。

インタビューをしながら、最終的には「今晩、飲みに行かない?」と誘っていました。仕事をしながらナンパができるので、一石二鳥でしたね。当然、修羅場も経験することになるのですが……。

■人生最大の修羅場

女性関係以外でも、僕は過去にいろいろな修羅場を経験しましたが、今回の自己破産は人生最大のピンチかもしれません。

でも、ひとつ言いたいことがある。いま日本では、年間3万人以上の自殺者がいるといいます。そのうちの約1割は、借金に悩んだ中小零細企業の社長さんです。僕は、何千万円単位の借金で命を落としてしまうよりも、自己破産していったんチャラにして、再チャレンジをするべきだと思うんです。

もちろん、債権者には多大な迷惑をかけます。でも、もう一度這い上がり、新たな仕事で債権者に返済をしていくという道は考えられないでしょうか。「死んでる場合じゃないよ」って。
いま映画界全体の年間上映数は850本ぐらいでしょう。そのうち、邦画は500~600本。「シネカノン」は民事再生中、「ムービーアイ」などのミニシアター系の配給会社は軒並み倒産し、東宝のひとり勝ち状態が続いています。映画業界は依然として苦しいですが、僕は映画プロデューサーとして再起を果たしたいと考えています。

僕は「生命保険に入れ」とまで言われていた男です。それでも、こうして前向きに自己破産して次を狙っている。

繰り返しになりますが、僕も最初は「自己破産なんて、犯罪者みたいで嫌だ」と思っていました。しかし、実際に破産してみて、日常的な弊害は何ひとつないことがわかりました。銀行もそのまま使える。強いて挙げれば、カードを没収されたくらいです。

だからこそ、僕は死ぬくらいなら、こう言いたい。「夢を持った破産者になりましょう」と。




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