不遷流田辺又右衛門・西郷四郎・西郷頼母
不遷流田辺又右衛門は中々面白い人物です。本当には講道館は彼に負けて、加納は試合する事からも逃げてました、ある意味自分の負けは歴史に残さなかった小狡い策謀家です。
小説の姿三四郎は加納の弟子の息子富田常雄が書いた庶民向けのプロパガンダですから、西郷四郎は多くは引き分けか、確かに他流試合に勝つ事が多かったので加納は重宝した様です、ただ正確には講道館柔道技で無く、大東流と言われてます。
講道館が正義で、そこになびいて既得権益にあり付いた他流派の柔術家が多く、それぞれ警察署の指導にあたっていったが、いつからか講道館の派遣や指名が独占化を図り、それになびく者も多く居たが、田辺等は実力で講道館派を追いやった人物です。
残念ながら政府に取り入った講道館、加納の政治力が事実を曲げて伝えてます。
別文でも書きましたが、イギリスやアメリカその他の国で、実戦的な武道として残ったり、各国の戦闘の体術となったのは講道館以外の柔術が事実の様です。講道館柔道はスポーツ、青少年の体育と心身の教育には多大に寄与してます。然し他柔術を否定する事により価値を高めたので当時の気骨有る正義漢からは抵抗されたのが事実でしょう。
西郷四郎は講道館の代表として試合に勝ち続けますが、彼はその様な戦いや生き様に嫌気をさして講道館を出て、その後晩年まで新聞社で活躍されたのが事実で、人生のほんの一時期、他流柔術より講道館が優れて居る証明の為に働かされて、そんな戦いに意味を見いだせずに出奔の形で講道館
去り九州に向かったのが真相に近く。
また、四郎は大東流の基本を西郷頼母から習い、東京に出た時に講道館にスカウトされた様です。よく西郷頼母の写真は見るからに小柄で線が細いので、武道の達人はあり得ないと言う評価がアチコチで見かけますが、合気の技術は筋骨隆々である必要は無く、上級武士の技なので、現代のスポーツや見世物格闘家の様な体は無用です。合気は技術であり、また真の柔術も無用な筋肉質やましてや大柄で有る必要は皆無です。真の大東流合気柔術を知らない者の発言でしょう。
大東流会でも、真に必要な鍛えた体や鍛え方を知らない為に、他流派の下級武士の様な筋肉やパワーが必要なやり方や、近代スポーツの方法を行っている愚例が後を立ちません、型や手順は大東流合気柔術ですが初歩の初伝の体使いです。
真の日本古武道は、歳を得て筋肉が衰えても可能な技を使える身体つくりです、ある程度引き締まった体は必要で、お腹がせり出している名人はあり得ませんが、近代スポーツとは異なる筋骨は必要です。
残念ながら身体の作り方や鍛え方は海外なは残らず、見た目の技や戦術のみしか残らなかったかもしれません。イギリス、アメリカ、ブラジル、フランスでの伝承は力技の延長です。
日本人の共通する正義感、弱者への思いやり、目先の勝負結果より経緯を重んじ最終的には高名な思想を交えた結論を求める、を同時に大事にする精神性が欠落している様です。
精神性は大事な事ですが国内の合気系武道では理想の精神論が先走り技の欠落が見られます。当然、大事な技術の欠落が有ればそれは机上の空論で、大東流合気柔術に於いては合気や合気柔術は必須です。