倒れもしない方向に無理に倒れてはその人の運動にだけは寄与してるかも^_^; | NeoMackey_ITpro&古武道のブログ

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倒れもしない方向に無理に倒れてはその人の運動にだけは寄与してるかも^_^;

かと言って力任せに倒そうとしたり、投げ飛ばそうとしたり、合気柔術に伝えられている技法の稽古をしないと駄目ですね。

 超長文です(^^)

 柔道は近代化される時に様々なルール、論理を整理されてその中でのさらなる技術の発展をされてます。

その根本原理は青少年の心身の成長にも大いに寄与する古人の教えもあるでしょう!

 ルーツが似た、日本の武士階級の技術と言う意味で、現代の合気道は精神性や考え等を重視されています、そこには武術として一部欠落されたり、若しくは精神性や考え方を優先させるが為に、そこで教えたいの事の優先順位の為に、技術を犠牲にした部分も否めません。なので倒れるはずが無いのに倒れたりする受身が頻発したりする可能性が出ます。

 柔術諸派には柔道と同原理に基づきた物も多く(全てとは言いません)、同種の武道と捉える研究者も多い様です。

 私が学んだ大東流合気柔術は、逆に多くの他流派と同等な柔道的原理(すみません狭義の意味での柔道原理なので全てとは言っておりません便宜上わかり易くする為に、2点の偶力や一点を止めて重心を崩したりするあたりの物理的な技のみを指しています、素人が理解しやすい部分の原理だけです)、近代スポーツ的な要素で行う技も多数伝えられております。

初伝の初歩は全く柔道的な技のかけ方を教わります。

 そこに急所技での痛い技や、危険な逆関節が比較的初歩で知らされます。

 会派、支部、指導者により、決まった教伝方法が無いのですが、筋力を感じさせる競い合いで無いやり方、心理的なやり方や、一見気が付かないたくみな崩し、既成概念で強いと思っているところの攻め、等が、崩しとか合気等と言う表現で少し古参が使います。

 これも多種多様な事が伝えられており武田惣角が凄かったのか?

勝手に弟子や指導を受けた者が泊を付けるために追加したのかは不明です。古武道ですので攻め方もルールが無く、試合形式で無いので反則も有りませんから。手数、手順が無限に近く有ります。それ等を全てをいわゆる柔道原理で解説すると不可能な事が頻発します。

 これを実現させるには合気柔術の技術が必須です。これには様々なコツが必要で、何事も技術習得は簡単で無く、それなりの正しいやり方の上に、量をこなし、質の向上を感性を敏感にして行う必要が有ります。  

 これは不断の稽古しかないのは当たり前です。ここで注意が必要なのは、一つは指導者により練習方法が正確に伝えられておらず人により説明が異なりすぎます、せめて理論的に納得させる説明は要るでしょう。   

 また注意の一つは、他の武道の力を忘れてその武道独特の体の使い方を極力心掛ける事です。

合気道経験者でも大東流を学ぶ時に二種類存在し、自分の培った合気道は横に置いてその時だけでも大東流の白帯の気持を持てば長足の会得が見えます。

然しながら他流の上に積上げるのは所詮土台が異なります。幾ら上級者と呼ばれても、他流の上に積んだ物は、古参でも最後の方になるとその武道の根幹に入れない事が出てきます。

まだ、技術体系が離れている、古流空手、剣術、相撲、等の方が大東流に近い基礎を持っている可能性が高いです。逆に武道未経験者やダンス踊りに長けた方の方が日本古武道の基礎が近い事も見受けられます。

 近代格闘技やフル何とかの格闘技ては中々古武道の基礎訓練はシンドイ物が有りますがあくまでも、本人の努力と熱意が決める事です。


 この合気柔術の基礎訓練を継続すれば、本人無意識の合気技が可能になる事も多々見られます。頭では無く体が合気を会得するので得意な技には合気が頻発する可能性が有ります。

 あくまでも、合気の定義が何かでこの説明も変わります。

崩し全てを合気とは考えていません。

人の持つ無意識の反応と、それを起こさせる技術を合気と考えています、そこには確かに心理的な事も含まれます。