リーダシップとは?
2017年頃の記事です
私はよく様々な世界で世話役や何かのリーダ的な役につくことが有ります。
子供の頃から学生時代社会人、趣味の世界でもです。
リーダや幹部などになる人も大きく二つに別れて、自分からそういう役を求めたりやりたい人と、そうでなく人から押されたり、推薦されて、成り行き上で仕方無く成っていく人が居ると思われます。
また自分からやりたい、成りたい人の中には、それに相応しい能力や資質がある人と、そうでは無くてリーダという特別な役名や肩書が好きで、何やら地位が付くのが嬉しい人もいます。
私はどちらかと言うと煩わしい役名や肩書は欲しく無く、自分で成りたく無い派になります。
ただし仕事では一生懸命やれば役が付いたり上がったりします。仕事をする一つの目的はお金を儲ける事なのでその為にも役が付くのが付随してきて、仕事が分かればじぶんの采配を増やしたくなるもので、役が上がるのが直接目的で無くとも、手段の一つとして目指すのがサラリーマンの世界でもありました、それが一つの自己実現です。
組織にいると、勝手に他人と競うのが好きな人は誰かをライバル視したり、人を押しのけたり、足を引っ張る様な、負の行いでポジションを上げようとする輩も多いのが事実でしょう。
私は自分の能力を上げて、競うのは昨日の自分と言う考えが若い頃から有り、他人と競うのはあまり興味が無い方でした、ただ実社会では早く役が上がれば、妬み嫉みの的に成り、そういう人達の真意がはかれない青二才でも有ったので組織内の軋轢が疎ましく、結果独立して、肩書としてはトップの社長を名乗、数十年過ごしました。
どんなに大きな組織でもナンバー2はトップでは無いと言う事もこの時期に学び、頭で想像していても体験しないと絶対に解らない事も有るのは事実でしょう。どの分野でもトップを経験するのは、ナンバー2とは違う世界が見えます。これは理屈では無く、中小零細企業のトップと大企業の幹部クラスでも比較すると、所詮次席の者には絶対に見えない物が有ります、大手にいると所詮数番手にしかいないのにトップに近いと自分もトップだとか、会社の看板がほとんど力を個人能力と錯覚するものです。
私は幸運にも小さいながらその様な経験も持った為に、様々な業種業界のコンサルタント的なSEが出来たのだと思われます。ただしこれはいわゆる一人親方ではリーダやトップのリーダ経験にはなりません、個人と少数組織では違います特に営利も含めて組織は違います。
リーダ論も様々有るのですが、これも百人いれば百通りで良い物です。ただリーダとして相応しく無いのは、地位肩書を目的として求めている者、リーダに付随する金品を求めている者でしょう。
リーダの資質は生まれつき親分肌や、人の世話が好きな人、人に対して行った行為に代償を求めない人でしょう。本当はそういう人だけ成ればよいのです。
もしくは成行きで世話役となる人でしょう。世の中にはそういう滅私奉公とは逆の人が多すぎます、お金、名誉、地位等を求めて、その為に様々なリーダになりたがるのでしょう。
仕事上では最低限の目的、自己実現の為に、ついて回るお金も妥当な範囲で求めるのは正しいと考えます。私も収入アップは目的の一つとして入れてきました、あくまで人道の範囲で、無闇に日産のゴーンの様に数字が欲しいのでは有りませんでした。
しかし仕事以外の世界、趣味、社会活動、地域社会、友人知人、の世界は普通に居て、楽しみたいのですが、なぜか親分肌でも無いのですが、私は世話役がいつの間にかついて回るのです。
自分が先輩諸氏にしてもらった恩は形を変えて後輩諸氏に返すのが当然と思います。順送りのお返しは金品で無く何らかの形で世間に返すのは当たり前と考えて少しは人様の世話のお手伝いをするのは厭いません。
ですがサラリーマンの世界と同じで勝手に他人を妬み嫉む人も居ます、滅私奉公とは逆にその分野の努力少なく、自分の利の為に、世話役や地位、名誉等を望む者も居たりして。その挙句微々たる金品を自己の為に使おうとする精神の者も多いのも残念です、どの分野、世界にも出てきます。
例えば、典型なのはマンションとかの管理されている者が預金を一部の者だけで飲み食いに費やして使い込む様な事例です。
心根の精神が卑しい者は年齢性別無く居るのも現実の世界です。
話変わりますが、私の所属する古武道の一般財団法人大東流合気柔術琢磨会の総務長、いわゆる当流派の当主は仕事も弁護士さんでしたが、趣味の古武道でも一流で先代久琢磨先生から、合気の技術を継承されているだけで無く、金品事に関しても清廉で長年私費で会を継続運営されてきていました。会員の派遣費用や運営費を全て自費で賄われており、会員からの入金は全て法人化の為に預金されていました。一昨年めでたく法人化されています。
一部の古参が当会の発展に協力すると申し出た折には、その者の為に自費で毎月3万円を支出されて来ています。数十年に渡ってです。私などの貧乏人、本当に食べられない程ではありませんが(^^)、には到底真似も出来ない事です。
余談ですが、恩を仇で返す不心得者はどの時代でも出てきます、武道家はお金、地位、名誉には清廉な立場を取れる精神性を高めたいものです。
このような大きな懐で人を率いようとするのも一つのリーダシップの取り方でしょう、私の経験した企業理念ではこの通りには真似られません。
前述した様に、人の恩に対して平気で後足で砂をかける者も居ます。
またその様な者を守ろうとする盲信した信者の様な、本来善人な者が一つ嘘を行い、その為に嘘を嘘で塗り固めてトップに対して多くの裏切り行為を平然と行うのも世の常かもしれません。
人を騙すのは、詐欺師に多いのと同じで、身なりがしっかりして、言葉使い丁寧で、見た目が善人が多いのも皮肉なものです。
リーダは如何に自分の耳に取って嬉しく無い事も公平に聞けるか、常に感情面では好き嫌い無く公平な耳を傾けられるかが肝要で、これは営利企業でも趣味の団体でも大事でしょう。
卑しく落ちた心根は簡単に戻り難く、歳を得ると情に流され易くなる事も戒めるべき心がけでしょう。