僕は、晋一さんが作った、チームボンシャンスの初代メンバーでした。
同じく初代メンバーの小室さんと、今日は晋一さんの引退パーティーへ
行ってきました。
一番印象に残っているのは、もう10年くらい前になるけど
僕が自転車で転んで落車して大怪我して入院していた時、
全日本選手権終わった足でそのまま、病院へ駆けつけてくれたこと。
この突然のサプライズは凄く嬉しくて感動でした。
大事なレースが終わったあとで、とても疲れているはずなのに。。
その心遣いも、胸に響きました。
この年は幸也がアンダーで優勝した年で、土産話も頂きました(^^)
月日が流れ、もう10年程ですか、、
本気で自転車レースをやっている選手であったら。
本気で頂点を目指したいと思っているならば。
目指すレースは世界最高峰の自転車レース
『ツールドフランス』だと思う。
今でこそ、別府選手や幸也がツールに出て活躍し、敢闘賞取ったり
ステージ優勝まであと一歩のところだったり。
そんな所まできているけど、あの時代は、日本の自転車選手にとって
雲の上の存在だった。と思う(少なくても私はね。)
1996年、今中さんがツールドフランスがプロ化になってからの初めての日本人選手出場で
当時の僕は、とても関心があった。今のようなにインターネットがなかったから
結果を手に入れることがとても苦労した。
結果は14ステージリタイア。
ステージを取れる位置での実力ではなかったことは、
まだ10代でレースもダメダメだった僕でもわかっていた。
日本のレースで圧倒的な強さだった今中さんが、ツールの14ステージ。
遅れに遅れて、ゴール。最後の最後まで踏むのをやめず、単独で
ゴールに帰ってきたあのシーンは忘れもしない。
結果はタイムアウト。
リュックルブランの胸の中で泣いて、そのまま
車に乗ってレースを去ったことは、大きな衝撃だった。
ツールドフランスとは…。
その頃、既に競技をしていた僕は今中さんも雲の上の存在でしたけどね(^^)
今中さんは、シマノからポルティーへ行ってツールに出た。
異例のルートだったけど
本来、ツールドフランスに出る為には、ツールドフランスに招待されるチームに
所属して居ることが大前提で、その中から選抜されるわけだ。
世界の頂点にあるチームは、ヨーロッパしかチームがなく
トップチームに入るには、底辺のレース、アマチアレースからのし上がっていく
行くことがセオリー。
アンダー23で、プロの登竜門的なレースで結果を残して、トッププロチームへ
行って、そこから更に走れる9人しか選ばれないっていう厳しさ。
じゃぁ~日本人がツールドフランスに出る為には、どっから、やればいいのか?
その特攻隊長的な存在だったのが、福島晋一選手だった。
その後、ルートを作ってくれたお陰で、僕も含め、多くの日本人選手が
ヨーロッパで挑戦できる環境が整い、、そして、今の結果に繋がって
いる。
そう言った意味では、本当に先駆けでルートを作って今の自転車ロードレース界を
ずっとずっと自分自身も走りながら
引っ張ってきた選手だと思っていて、とても尊敬しています。
ボンシャンスにいた頃から、あと1年は走らんと…と引退を
ほのめかしていた言葉をチョイチョイ出していたのに、今はあれから何年
経っているのだろうか?
今は、42歳の大ベテランさん(^^;)
実力は衰えるどころか、むしろ年々上がっているように感じ、今年も大活躍!
本当に頭が上がりません。
遂に最後まで追いつくことは出来なかったなぁ~。
冬にタイでしごいてもらい
最後、一緒に走ったレースはアジアツアー国際レースの熊野。
僕の中では、一生忘れることができない思い出です。
会場は、とても沢山の方たちが集まっていて
本当に沢山の方に愛されている選手だなぁ~と羨ましく思いました。
人生は一生に一度きり。
その中で、本気で選手としてやっていける時間なんて、短いもの。
でも、その短い時間のなかでも、家族や周りの理解もなくてはならないのだが
全てを巻き込んで納得させてしまう
晋一選手流に言うと『洗脳する』ですか?笑
そのへんも、やはり只者ではない超一流選手だと思いました。
レースでは、一流選手の顔
家庭では、4人の子供を持つ父親の顔。
選手としても、人生としても、今の言葉で言うならば
勝ち組ではないでしょうか?
次は指導者としての出発。
心から応援しています。(^^)/
