先週の日曜22日、起床時のスマホの天気アプリの画面です
盛岡
丁度1週間前の21~22日、弾丸帰省してきました
先月半ば、実母から、恐らくその疑いが濃厚だと告げられました
その数日後、
早期の胃がん 胃の3分の2摘出になると
色々思いを巡らし、結果今月13日、入院や手術の日取りが決まり、
自分の休みの関係上、22日仕事を終えて、新幹線で盛岡まで行き、
1泊して翌日朝、病院の面会時間に合わせてそこに向かい、
居られるまで傍に居て、夕方の新幹線で帰京
というスケジュールに決定 実家に寄らない のも初
日帰りは無理だし、夜行バスは自分寝られない人なのと、
到着時間等自分希望タイムスケジュールに合わないので、
初めて前乗りで盛岡1泊パターンの弾丸帰省決行しました
結果、天気が味方してくれた(週間予報チェックしていたら22日のみ
晴れ他はくもり、もしくは雪の日ばかり)も含め、
良き弾丸帰省となりました
①JR東日本新幹線ホテルパック最強
↓22日朝の盛岡市街
今回、↓こちらを利用して、新幹線と宿手配
往復の新幹線料金より安いのと、泊まったホテルが立地・接客・食事・アメニティ全部満足
人生初、大満足と支配人宛のアンケート書きました
あまりホテルで熟睡できない私が、4時間はガッツリ眠れて、入院中の母に、心と体、ワンクッション置いて少し余裕を持って会いに行けたのは本当に良かったです
これまで何度となく見てきた岩手山が、
今回とにかくキレイに感じ、母が入院している地元の病院に向かうべく乗った高速バスの
車窓から写真を撮りました
②術後の経過良好
ここが一番重要なとこでしたが、5時間以上に及んだ手術翌日、フロアを歩いたときいていましたが、病院着いて、病室に向かおうとナースステーションで面会受付手続してる時、向こうから点滴を押しながら「良く来たな^^」と母が出迎えてくれたのには、どビックリ
あと上の写真↑、当日の昼食 なんですけど、
もっと流動食っぽい、もしくはペースト状の食事を想像していたら、形がある状態の食事である事にも驚き
とにかくよく噛んで、残ってる胃に負担がかからないよう、食事にかける時間は人の倍と言われているとのことでした
勿論痛み止めは、まだのむ機会はあり、朝晩の冷えが痛みを増幅させるので、そこは辛いと話してました
告知を受ける直前と、告知を受けてからスケジュールが決まるまでの間が精神的に辛かったと母
昔と違って、不治の病ではないし、
今回は幸い早期発見で、 転移もなく、
担当医の先生や栄養士、薬剤師、あとケースワーカーさんと話す機会を沢山持てて、不安は減って、今後の生き方や暮らし方を前向きに考えるように、思考をチェンジしたら、気持ちが大分落ち着いたと
よかった良かった ホッとしました
ちょっといやもっと大分安心しました
入院している病院では、お見舞いメールというのを受付ていて、スケジュール的に秋田に来るのが今回無理だった娘たち、早速送ってくれていて、これがかなり母の癒し慰み活力になったようで、このメール📩のシステムを③に後付けですけどします
お昼、今回の件、色々やってくれてる実弟と
外で食べ、今年に入ってから、3月の仙台後、メールやLINEのやりとりが以前より頻繁になってはいたものの、直接会って話すのはそれ以来だったので、シリアスな話もそれこそ趣味の話も沢山出来て、これも良かったです ④ですね
弟は、去年発達障害と診断を受け、母は、自分の体調より、弟の行く末を一番案じておりました実のところ
ただ、弟から直接きくと、母の親としての心配フィルターがかかっての話と、若干ニュアンスが違って、やっぱり話は一方からきくのはよくないですね 発達障害と言っても軽いし、通常の生活に支障をきたす場面はそんなに多くはないので
そうは言っても、これまで人間関係で、
ツライ思いを沢山してきている弟
この診断を受けて、納得というか、
なんで俺は、、とか俺だけ、、
どうして俺は○○ができないんだ という葛藤の答えが、40歳を超えてやっと提示された訳で、
弟もこれから、もっと前向きにそして自立
という意味でも、今回の母の入院手術は、
いい機会になったかと思います
寒さや天候を考慮し、状態は退院できるところまできているけれども、
母は正月明け🎍の退院予定です
次帰省する時は、母に負担がかからないようまたパターンを練って、暖かくなってからかな
東京から援護射撃は、出来る限りするつもりではいます