昨日だったか、山田洋次監督が映画館から映写機とフィルムが
消えていく現状に対して仰った言葉です。
厳密には、現代という時代背景や映画のあり方のようなもの
まで網羅した上での一言ですから、前後の文脈を切り取って
受け止めるのはよろしくないのですが、無用の用ということ
と同義と受け止めてよいのではないでしょうか。
「寅さんは、正にそういう存在で、居なくてもいい人間なん
だけれども、そういう人がとても大切で、いなくてはいけ
ない」という風に、インタヴューにお答えされていました。
”そういう”と表現すると多分に感覚的で、もしかすると
理解が難しいという方もいらっしゃるかもしれません。
別の視点からみると、割り算の余りのようなものかもしれ
ません。
あるいは、エジソンの言う「うまく行かない一万通りの方法」
かもしれません。
そういう先人の経験の上に、私たちが今生活できている近似
値による正解が残っていて、この近似値による形式知だけが
全てと理解すると、とんだ間違いを犯すことになる。
常に変わらない正解なんてない、という風に考えてもよいで
しょう。
私は必要な無駄でありたいと思います。
さて、指に唾つけて風に訊いてみるか。
感謝!
消えていく現状に対して仰った言葉です。
厳密には、現代という時代背景や映画のあり方のようなもの
まで網羅した上での一言ですから、前後の文脈を切り取って
受け止めるのはよろしくないのですが、無用の用ということ
と同義と受け止めてよいのではないでしょうか。
「寅さんは、正にそういう存在で、居なくてもいい人間なん
だけれども、そういう人がとても大切で、いなくてはいけ
ない」という風に、インタヴューにお答えされていました。
”そういう”と表現すると多分に感覚的で、もしかすると
理解が難しいという方もいらっしゃるかもしれません。
別の視点からみると、割り算の余りのようなものかもしれ
ません。
あるいは、エジソンの言う「うまく行かない一万通りの方法」
かもしれません。
そういう先人の経験の上に、私たちが今生活できている近似
値による正解が残っていて、この近似値による形式知だけが
全てと理解すると、とんだ間違いを犯すことになる。
常に変わらない正解なんてない、という風に考えてもよいで
しょう。
私は必要な無駄でありたいと思います。
さて、指に唾つけて風に訊いてみるか。
感謝!