學佛大悲心(阿弥陀仏の大悲心を頂戴し、領受する)
本文は蒙光師の法話の転載です。原文は中国語ですが、日本の同朋のために、おこがましい日本語に訳してみましたが、言葉が通じないところがありましたので、よろしくお願いします。私は以前、本を読んで、「智士識己之度量、愚者暗他之浅深」(唐・義浄『大唐西域求法高僧伝』)という言葉に感銘を受けました。以前、SNSで文章を共有しました。今日、関連する問題を思い出し、この文章を見つけて再送しました。ついでに自分の意見や感想も伝えました。(訳注:これは中国の旅行者が書いた文章で、日本の仏教と宗教の雰囲気に感嘆しました)。文章の作者は中華文化が日本にあると言う。彼は香港で最も優れた寺院である志蓮浄苑を挙げて、京都仏寺と比較した結果、結論は明らかだった。文章の作者は日本の仏教の雰囲気を率直に褒めている。華人の生活地域に比べると、打撃範囲がもっと広いです。実は私は身近な友達、仏教の仲間に同じことを言ったことがありますが、いつも意味を間違える人がいます。特に中華人民共和国の教育背景では、ガラスの心のように愛国的で無謀な愚か者の攻撃を受けやすい。ネットでよく私に質問される:「中国にはこんなに多くの高僧大徳があるのに、なぜ日本の仏教を学ぶのですか?」私は無力感を感じます。これは典型的な「愚者暗他之浅深」である。自分がどんなに無知で浅くても自覚せず、相手がどんな長所があるのか分からず、門戸の見に縛られて、一生は井戸の中の蛙になるだけです。もし私が因縁福報があれば、中国で私に相応しい教法に出会ったら(注意してください、私は因縁福報に遭わなかったと言っただけで、中国には良い教法がないと誤解しないでください)、私がそんなに苦労すると思いますか?!では、いい教法を探してくれませんか?そして本当に私を説得してください!あなたは私が真実の道を探すためにどのくらい探したのかまた知りましたか?どんな法門を学び、どんなことを経験しましたか?……まして、仏教は仏教ですが、中国と日本は何に分かれていますか?しかし、漢伝仏教本位を自称する一部の教徒から見ると、漢地本土の大乗仏教だけが最も正統で、他の南伝仏教(上座部仏教)、チベット仏教、日本仏教、朝鮮仏教は異端外道です。どうして仏教と呼ぶことができますか?しかし、もし国籍・種族を本当に強調するなら、中国人は福報で仏を学ぶことができますか? 仏教を学ぶ資格もありますか?民族主義の立場で区別すると、日本仏教は確かに中国から伝わってきて、中国仏教もインドから伝わってきました。もし日本が回流した教法と経典が足りなければ、中国人もインドから来た仏教を信じてはいけないのではないですか?大中華の立場に立って、仏教は西洋の「蛮夷」「身毒国」(インド)の教法から由来し、天朝上邦大国の体面を失わないか? もちろん中華本土の儒教と道教しか学べないよ!ましてや、日本仏教は中国仏教の法脈だけでなく、密宗と浄土二教も、それ自体が中国の正脈であり、むしろ中国が特別な歴史的理由で伝承を断ち切った。 史料はあり、常識のある人は工夫をしたいが、この事実を理解することは難しくない。 だから、異邦(日本)で千年も続き、教法、教典、教団が持つ大乗法脈に直面して、漢地の仏子はどうやって選べばいいですか? 「断伝承」(伝承を断絶する)の面子を守るのか、それとも「継絶学」(既に消滅した学問を継承する)の裏子を続けるのか?現在、インド、チベット、または上座部仏教を正統とし、漢伝仏教を異端と非難する人がいます。 その観念は上記の漢伝正統派と対立しているように見えるが、その病気は同じ源である。 皆私の見を正見とし、飾慢心を発心とし、自分の盲目を知らないが、天下に光がないと誣陷する。 無知で傲慢で、哀れで可笑しい、これはまさに末法時代の常態である。もし私たちが常識もなく、目もないのに、心が狭く、異己を排斥するなら、仏を学ぶとは言うまでもなく、人でさえできないし、法の取捨を語る必要もない。私は別の文章でも言った:実は世界はバランスが取れている。欧米・日本・香港・台湾には自由がたくさんありますが、私の観察によると、欧米・日・港・台の同友は、一般的に信仰上の情熱は私が見た中国の同友に劣っています。手に入れるのは簡単だから、むしろ大切にしない。しかも社会福祉が高すぎて、怠惰な心を育む。仏法の立場では、それぞれの長所と短所があり、是非を評価するのが難しいとしか言えません。(中国の寺院にぶら下がっているスローガン。和訳:(上)共産党がなければ釈迦牟尼仏はない(下)習近平は国民のために盛世を創造し、諸仏如来は喜んで中国に降臨した)ーー上記の言葉は、私が本土教徒を怒らせることを恐れて、彼らのガラスの心を壊したので、特に良い言葉を言ったのではありません。中国の仏教徒の全体的な素質と教界の現状について、私は部外者や観察者ではなく、その中にいます。ただ接すればするほど失望と心が痛むだけです。現状について、私は本当に良い言葉も言えません。 しかし、これが全てではなく、ただ一面に過ぎない。一方、中国の仏教信仰の伝統は数千年も続いており、ここ100年来の断裂で完全に破壊できるものではありません。 中国の「土徳」はずっとありますが、ただその潜徳幽光を体験し、目覚めさせ、活性化できる人が必要です。(和訳:中共「十九大」の報告は現代の仏教経典です。 私はすでに3回手書きで写しました。それにさらに10回写す準備をしなければなりません。 ——中国仏教協会副会長 臨済宗釈 印順)私が観察した中国と日本の仏教徒の違いは、中国人は一般的に文明の素質が低いほか、中国の仏教徒の法に対する追求は、より質素な情熱と敬虔さがあることに気付くべきです。日本の仏法は日本の伝統に溶け込み、日本文化の底色になりました。 しかし、一般人も習慣として、問題に気づかず、現代文明の便利さと福祉に溺れ、生死無常に対する思考と警戒を生むことは難しいです。多くの人は仏教を日常の習慣と家族の伝統から信じており、内在的な需要から生まれることはめったにありません。一般の民衆では、その本色はまあまあですが、現代文明の洗礼を受けた知識人の表現は特に満足できないです。例えば、4年前に亡くなった泰斗級仏教学者の辛嶋静志さん (創価大学教授)は『阿弥陀浄土の原風景』の論文を書き、浄土思想は『般若経』から発展して他の大乗経に浸透したと思った。 もちろんこの説は彼の創造ではなく、彼はただ前代の学者の説をさらに推し進めただけだ。 彼の根拠は何でしょうか? 根拠は進化論の思考定式で、精神思想は物質、技術と同じで、絶えず進歩し、後から上位になると考えています。 これは近代以来西洋の主流であり、最も典型的な唯物思想である。 この意見によると、自然に、浄土は世尊の親説ではなく、代々の仏教徒が絶えず積み重ねて追加された伝説であり、民衆と僧侶たちが共同で虚構、幻想で捏造したユートピアです。彼の妙論はそれだけでなく、「阿弥陀仏」と「無量寿」「無量光」の用語と意味が違います。もともと同じ意味ではないはずです。後に翻訳されて同じ仏になったのです。など……この学者が浄土真宗世家生まれの門徒であることを知ったら、さらにショックを受けたかもしれません。もし阿弥陀仏、浄土のような観念は、言語学的に無関心に分解して分析し、「阿弥陀仏」と「無量光」「無量寿」を文字通りの違いを引き出します。それぞれ異なる結論ですが、彼らはどうやって浄土と阿弥陀仏に対する信仰を実践できますか?(辛嶋静志氏)このような例は事例ではない。 昨年(令和元年)本山で勉強し、トップ学者が現代人の常識と理性で浄土真宗の教義を語るのを聞いて、その時は不思議で混乱しました。「彼らはどうやって経験理性的な思考方式と僧侶の身分を結びつけたのですか?ここまで精神分裂しないなんて、彼らはあまりにも不真面目で、あまりにも真実ではないとしか言えません。」幸いにも、出会った僧侶や教授たちは皆そうだった。 私は『如来のパイプ』という文章で、私の不満を少し言及し、正見のある導師(*)が私にくれた影響と感動を重点的に述べました。 しかし、全体の現状から言えば、本当に理想的ではない。 逆に中国の同朋は、法を求める熱意と行道実践の表現も、日本の同朋に及ばないところがある。*すなわち桑原浄信さん(浄土真宗インターナショナルオフィス事務局長、北米開教区バークレー仏教会駐在開教使)。故野瀬瑞黙老師はかつてプライベートで私に「日本では、誰も私の価値を知らない」と言った。私が理解するに、重要な理由の一つは、日本の仏教の雰囲気が「強すぎて」、至る所で法座が聞こえ、講演者は往々にして高貴な大法師、大教授で、講義も専門的に見えるからです。その見方、内容の真偽については、わざわざ区別する人はあまりいないかもしれません。たとえあったとしても、能力があるとは限りません。そうすると、どうして本当の伝承と自信のある人格を持つ故瑞黙老師が尊いと思う人がいるのか?(浄土真宗法雷轍第五代 故野瀬瑞黙和上)しかし、華人地域では、瑞黙老師一人で無数の人を惹きつけ、影響を与え、香港、大陸、台湾の三地の浄土真宗の普及と深化を直接推進し、正統な善導大師の教義が華人地域で理解され、注目され始め、その意義は計り知れない。これらはいずれも開港、中、台三地の華人が道に法を求める情熱から離れられない。華人真宗信者の教法に対する情熱は、交流が深まるにつれて、日本の同朋からますます注目され、賞賛と驚きを感じています。これらの事実は、以前SNSでも多少仲間と共有したことがある。(参考:中国福建省・圓通寺へ伝道の旅 淨教寺住職 島田和麿)(瑞黙老師は中国厦門で中国、香港、台湾の僧俗と一緒にいます。左二は香港法雷念佛会住職 釈浄覚師左三は野瀬瑞默老師左四は中国廈門霊台山円通寺住職 釈満明師右二は奈良九条山浄教寺住職 島田和麿師右一は瑞黙老師の通訳助手・台湾高雄法雷寺住職 釈尼瑞覚師上の列の真ん中は本文の作者 釈蒙光師)文化が崩壊した時代に、信仰を維持することは難しく、仏を信じ、真実の教法を聞くことはさらに困難です。しかし、如来の加護、伝統の力、土徳の庇護を受け、我々華人仏教徒の信徳と熱意は、比類のない尊い価値を持っています。たぶん、これが未来の中国人が仏教中興を実現する本当の原動力であり、私はそれに自信を持っています。事実がどうなのかは、同朋たちの実践と検証が必要です。2020年(令和2年)9月23日
浄土真宗本願寺派法雷学派の本部は『宗教法人神戸法雷会館』です。住所は『兵庫県神戸市灘区城下通3丁目2番33号』。もとは法雷学派四代目・稲垣瑞劔 先太師公の住まいで、その隣に法雷碑があります。瑞劔和上が昭和56年に御示寂後、長男 稲垣瑞雄が跡を継ぎました。しかし、法雷学派の後継者は五代目・野瀬瑞黙 先師公 であり、法雷轍を中国/香港・台湾に伝えました。瑞黙和上は平成23年に示寂、その後は香港の劉蒙光法師が継ぎました。その二年後に瑞雄和上も示寂。今、法雷轍を学ぶとすれば、奈良九条山浄教寺の住職 島田和麿師を訪ねます。(神戸法雷会館)(瑞劔、瑞黙師は法雷碑の前)(瑞劔師は法雷会館の御仏壇の前)(香港の浄土真宗得度僧と島田和麿住職です。)(これは瑞劔師が瑞黙師に贈った法雷会館の牌匾であり、その牌匾看のある場所が法雷会館本部であることを意味しています。)(劉蒙光法師(左)は瑞劔師親筆御手書の南無阿弥陀仏名号掛軸を受け取りました。)現在実際の法雷学派の本部は香港法雷念仏会です。住所:香港銅鑼湾天後廟道3号鴻安大廈2樓A整理 小笠木貞子(釋 徳中)写真提供 浄土真宗法雷学派公式サイト(中国語)https://www.horaicn.com/
法雷宣言法性虛空,廓超視聽。中道妙理,非有非空,不生不滅。言詮亡於蹄筌,名相絶於常寂之津,若非至覺,云何照其宗。是以大悲不息,耆闍崛山轉法輪;八解淨鏡,影暢巍巍姿色。真宗淵源,實存在茲。七祖瀉瓶之,祖聖開示之,以霑忍土。列祖雖殊,其揆一也。然今人,誰能如法受持正法,如實光顯真教耶?「竊以聖道諸教,行證久廢;淨土真宗,證道今盛」,是何謂耶?真宗宣傳追日喧,祖聖遺訓滿店頭,而一流衰微之甚,無過今日,此何人罪耶?法寶隱於名利,遺弟念力,今何處得見?偶繙祖典者,惑於渺渺玄猷,見失其精神;志宗乘之士,徒沈義解教道,圓解證入之輩甚以尠。古老諛青春,弄新奇言,覆蔽天真,悲哉!賢哲各張門戸,蘭菊競美者,是往昔夢。今魚目充市,珍珠稀也。究教行而無精舎,叩草庵而無明匠,庸學輾轉淤泥而亂轍,法燈明滅。今時,誰起而忘軀殉法,究茫茫素範之源,復宗學於願海自爾之正路?誰開鑿古賢法河,流清水於萬古?誠不堪痛歎!然則,吾人鑑時機,乘運復興最高最深、古今獨歩之學系法雷轍,益益進而窮探先賢未覿之秘府;謀正法久住,以奉念報佛祖鴻恩。伏願誓志弘撫,穿宗乘奥賾,欲捧一身於大法之道俗等,來投法雷轍之門吧。法雷會幹事 稻垣瑞劔一、宗派、伝承、学派について伝承の力は道そのものにあり、「道」あっての「統」であって、目上の世代でつなぎ合わせて伝承と呼べるものではありません。日本仏教の各宗各派、その宗の下の派閥の分、実は多く法義に関系なくて、具体的な歴史、地理の因縁と関連します。親鸞聖人が入滅した後、聖人の後嗣子孫や各地に散らばられた門徒たちが、一つの寺を本山(中国仏教の「祖庭」に相当)とし、現地の門徒たちを集めてそれぞれ教団を結成しました。例えば、親鸞聖人の子孫たちは大谷廟堂に本願寺を建立し、後に東西分立により、西本願寺(正式名称:龍谷山本願寺)を本山とする本願寺派と、東本願寺(正式名称:大谷本廟)を本山とする大谷派に分かれた。浄土真宗は10派あり、その派名と本山は以下の通りです。浄土真宗本願寺派:西本願寺真宗大谷派:東本願寺真宗高田派:専修寺真宗仏光寺派:仏光寺真宗興正派:興正寺真宗木辺派:錦織寺真宗出雲路派:毫摂寺真宗誠照寺派:誠照寺真宗三門徒派:専照寺真宗山元派:証誠寺各派に本山があり、西本願寺が総本山です。伝統によって、門徒の身分は教派の帰属が異なっていて、主にその家柄の所属と供養する寺院が異なっていて、十派の教義と安心は同じで、食い違いがありません。現在十派は連合教団を構成し、教義的には完全に一致し、協力し合っています。宗派の間には、門戸的な見解はなく、伝統的に事務、法義ともに密接な交流を保ってきました。如瑞黙老師の家系は佛光寺派の門徒で、稲垣瑞劔老師の命で西本願寺で得度し、本願寺派の僧侶となりました。教義について意見を異にするのは、その下の学派です。教団の興衰は、その内部学派の発展にかかっています。学派は祖師級の大学者で、教典に対する認識と主張はそれぞれ千秋があって、教義の上で絶えず進化して、極めて大きい発展の建樹があってから一家の言を成すことができて、教内に広範な影響を生んで、そこで学派を成立します。西本願寺派にしても、空華、石泉、竜華、肥後など、歴史的に学派が乱立しています。法雷轍は本願寺派の下に生まれた学派です。各学派の間、決して門戸の別がなくて、異なる流派の僧俗は自身の因縁によって自由に学派の教義を理解して学ぶことができます。瑞默老師の家族は佛光寺派に属し、修学したのは本願寺派の法雷学派であるが、木辺派などの他の宗派の寺院にもしばしば招かれて説法を行っている。諸家宗学は賢哲諸門でありながら、その教相(教義体系)はすべて『御本典(教行信証)』に依拠しており、安心も一味であることを強調しておきます。この家の安心は、あの家の安心とは違うという理屈はありません。安心を自称して宗門の共通の承認を得ない者がいるとすれば、それは異安心教です。例えば、日本の親鸞会。具体的な教理上の弁別は,ここに無駄はありません。此世不論何事,皆念佛之助緣。(クリックして読む)Everything in this world is interconnected by the Nembutsu.二、法雷轍の五代祖師1、光明坊断鎧(1808-1869)法は仏に依って顕れ、仏は法に乗じて正覚となります。久遠の弥陀覚王、安養界に影現れ、常転無垢の法輪、大聖釈迦牟尼世尊、応現忍土、願海自爾の法を説きます。法灯の久住、三世流行の大任は、真仏弟子の両肩にかかっています。法雷学派の清流、その源は明確で、滅びることがなくて、万古を流れて枯れて渇きを潤すでしょう。先祖伝来について見ていきます法雷学派の始祖、初代・光明坊 断鎧 法師、肥後の人、長門国萩光明坊の住職です。真宗学は、継興院の慶師より学識があり、道晃師とともに慶恩の門下の高弟でした。然し断鎧師は師説に拘らず、古今の学説を縦横に批判し、自らを一家としております。クラスは司教に達しています。明治十九年六月勧学を追贈されました。祖師の『六字釈提要』は明治十五年に、『易行品浄土論題拾持鈔』は明治二十八年に京都の興教書院から出版されました。二書共は学界の至宝です。今日を惜しむ人は、多くこれを知りません。また、『王願成就戦戦録』という書物があり、写本として伝わっています。断鎧師の至高の信念と学識を垣間見ることができます。他に次のように述べています。『浄土論闚墻』一巻、『往生論注慶卯録』一巻、『選択集山釣録』二巻、『選択集講義』一巻、『本典録』二巻、『行信決擇編』一巻、『法要類文』二卷、『高僧和讃講義』二巻、『正信偈講義』(未完)、『改悔文自勧鈔』一巻、『易行品隨問記』一巻、『宝章稿録』一巻、『和語灯類文』二巻などがあります。写本が多いです。断鎧師の学派は「法雷轍」といいます。学塾は「法雷社」といいます。門下の中で、特に瓜生津隆英師を愛して、わずか3年ですぐ隆英に衣鉢を伝えます。師は明治二年一月十四日に没しました。2、瓜生津隆英(1820-1903)第二代・瓜生津 隆英 法師は、近江国犬上郡豊郷村の法城寺の住職です。容貌魁偉、相好円満如玉、白眉長垂慈父の如し、寬恕温和にして不可近の威儀あり。目がきらきら光って、徳光があふれています。隆英師は日夜研鑽に励み、寸陰を怠らなかったのです。晩年になって勧学に至ったのは、全く師の努力の結晶です。太師祖の書斎は二階の薄暗い小部屋にあります。蛍雪の数十年の昔を偲ばせ、怠け者を奮い立たせる力があります。法城寺には「法雷教校」という学塾があり、校標は今も寺に保存されています。隆英師は毎年恒例の称名寺に招かれて、法城寺から八里ほど離れた報恩講の法筵に出席していました。師の姿が門の中に現れると、大きな本堂に集まっていた老幼の男女が、師を出迎えました。山門から本堂までの道の両側には、七重八重の人垣ができています。お温顔を拝んで、稽頭は合掌しました。これは古今近国に比して見ざることで、これをもって師の盛徳を知ることができます。隆英師の著作は、利劔師の本のほかに、『易行品講録』(明治三十年出版)、『玄義分講弁』(写本)など数冊あります。その中で、「玄義分」及び「論注」の講録は師の著作の中の精華です。1903年(明治36年)に往生し、法名『法雷院釈隆慧法師』。3、桂利劔(1872-1944)第三代・桂 利劔 法師、山口県玖珂郡玖珂町蓮光寺に生まれました。十八歳で郷里を出て、滋賀県彦根市鳥居本町の専修寺に入り、やがて二十二歳の春に法城寺(滋賀県犬上郡豊郷村南安食)に移り、瓜生津隆英師の門に入ります。师祖フランス雷教校で眞宗の学を専攻したとき、隆英師彼が大好きで、育てて教え、慇勤を启発した。利劔師も、師事した隆英師を仏様のように扱い、出入りは必ず随従し、起居は常に拝礼し、蛍雪八年です。利劔師が初めてファーレイ教校に入ったとき、門数は三、四十人でしたが、時間が経つにつれ、みな亡くなったり、去ったりしていきました。隆英師が八十四歳の高齢で亡くなったとき、臨終に侍ったのは利劔師ただ一人でした。隆英師は病が重くなり再起不能を自覚し、病床に利劔師を招いて苦しみを堪え、毎日二時間ずつ真宗の奥義を説きました。質問を禁じ、ただ調書を取らせます。この時、老坊守は後から隆英師を抱いて、静かに侍していました。講義終了と同時に高熱が出るのはよくあることです。医師はこれを制止しますが、師は厳しくて応じません。「往生の時が近いのに、先師(断鎧祖師)の言を伝えることができないことを恥じます、誰か再び南天の鉄塔を開きますか!」(竜樹菩薩が南天鉄塔をひらいて、大日経をとりだしたように、今後誰か真宗の奥義を究めてくださらんか)と、悲嘆にくれました。それが最期の夜まで続きました。利劔師は昭和十八年の終わりまで、二十年間神戸に住んでいました。同市の光徳寺大乗仏教研究所にて宗乗十年発揚します。その間に、まず法雷轍が大成しました。当時、神戸の仏教界は未曽有の盛況で、皆先生の教化のおかげで、その功勲は実に偉大でありました。利劔師祖の主な著作に『正信偈講話』『教行信証注疎評林』『歎異鈔備註』があります。利劔師は昭和十九年四月二十五日、自坊光台寺にて七十三歳で往生しました、法名『法雷院釈利劔法師』。クラスが司教で止まっているのが残念です。4、稲垣瑞劔(1885-1981)第四代・稲垣 瑞劔 法師は利劔師に師事して二十二年、法雷轍の教えを一般民衆の世界に普及させ、著書に『教行信証大系』七冊、『真宗玄義』『正信偈講讃』『大無量寿経玄義』『死の解決』などがあり、語録選集に『真暗闇』『本願海涛音』『大悲願船』などがあり、日英の著作は80冊余りあります。奈良九条山浄教寺住職 島田和麿師は「瑞劔師は日本で数百年に一人しか出てこない大師で、仏教界で尊敬されているだけでなく、日本社会の各階層、各宗教団体からも尊敬されています。」島田師はもともと瑞劔法師に法を習っていましたが、瑞劔法師が往生くなられた時、衣鉢は瑞黙老師に移り、彼は瑞黙老師に法を習っていました。浄教寺は関西最大の寺院です。島田さんは現在80歳を超えていますが、住職を退職してからも、瑞劔先師の遺教を大衆を率いて学び、その恩返しをしています。浄教寺には「瑞翔庵」があり、瑞劔老師法宝、墨宝を納めています。2006年、瑞黙先生は中国霊台山に招かれて説法に行きました。太平洋戦争が終了した後、浄土真宗が初めて中国に来たのです。島田さんがお供をして聞きました。瑞劔師は利劔師に22年間従い、利劔師が往生するまで、利劔師が生前に残した大量の原稿は瑞劔師が整理したものだった。瑞黙師は瑞劔師が往生するまで27年間瑞劔師に従った。瑞劔師が生前に残した大量の原稿は瑞黙師が整理したものだった。 如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし『恩徳讃』、祖師たちは体を張ってこれを行います。1981年(昭和56年)1月13日に往生し、法名は『護城院釈瑞劔法師』。5、野瀨瑞黙(1924-2011)第五代・野瀬 瑞黙 老師、仏教大学卒業、瑞剣法師に師事して27年、日本、香港、台湾の三地法雷会の常任講師を務め、『法雷』月刊編集長。1999年に香港を訪れ、浄土真宗、法雷学派の法灯を漢地に伝承した。2011年11月3日に往生し、院号は『寂靜院釈瑞黙法師』。瑞劔法師の講法道場、資料原稿は、長男の稲垣瑞雄(稲垣久雄)が引き継いだ。これが現在の神戸法雷会館です。しかし、瑞劔法師の衣鉢は、瑞黙老師一人が手に入れた。瑞劒法師は生前このように依頼していたが、瑞劔老師の門下には弟子が多く、多くは大和尚、博士教授であり、瑞黙老師をあまり認めていなかった。瑞劔法師は筆を振るって「法雷会館」の大きな字を書いて衣鉢として瑞黙老師に渡し、瑞黙老師がいる場所が、法雷轍の所在地であることを示した。瑞劔法師は法名の「瑞」の字を瑞黙老師に伝え、また「黙」の字で老師黙然伝法を教えた。1977年(昭和52年)、瑞劔法師は『法雷』会誌を創刊し、後に瑞黙老師に運営を教えた。瑞劒法師が往生くなった後、師公は一人で法雷轍を伝承する大任を担った。三、法雷轍の日本以外での発展香港2000年5月11日香港法雷念佛会の設立を率い、初代住職釈妙慈法師、現住職釈浄覚法師。台湾2006年に台湾に上陸し、弟子の釈尼瑞覚法師を率いて高雄法雷寺を建立した。2007年、台北法雷念佛会が設立された。中国2005年、招かれて中国福建省や西安などで講法した。浄土真宗が中国(1945年以降)に来たのは初めてで、善導大師の教法が再び漢地に戻ったのも初めてだ。現在は香港法雷念佛会の講師、釈蒙光師(史上初の中国大陸真宗僧侶)が中国大陸で浄土真宗を発揚する使命を担っている。海外国際法雷会(Horai Association International)の創始者は稲垣瑞劔法師で、英語で海外の国に真宗法義を伝えた先駆者の一人で、後に父親の職を稲垣瑞雄法師が引き継いだ。国際法雷会はオーストラリア、ブラジル、ギリシャ、イタリア、シンガポール、スイスなどに現地代表がいる。親鸞聖人は『教行信証総序文』の中で「難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する惠日なり」(竊以難思弘誓度難度海大船、無礙光明破無明闇惠日)と述べた。いつの時代も、偉大な志と誓いを立て、真理を発揚し、衆生を救うことを考え、宗門の浅実深さの奥義を貫徹しようとし、そのために自分のかすかな命を捧げ、自信を持って人に信を教える道を実践する人がいる。この志を持つ僧俗衆徒たち、一緒に法雷轍の門に投げてください。(瑞劔法師 八十八歲 手印『教行信証総序文』 )野瀨瑞默 老師
阿弥陀仏は私たちに貪瞋痴の三毒があるので、清浄、歓喜、智慧の三光を修め、三光によって三毒を治めるようになりました。だから浄土の法門は私たちのために作られた法門なのです。浄土も阿弥陀仏も、この三種ないし十二種の光明を満たし、放射し続けています。阿弥陀仏を信じ、「南無阿弥陀仏」と称念する人は、仏の光に守られて生きており、心は決して暗くはありません。自分の心が暗くなっていることに気づくと、念仏を唱えると明るくなって、仏と浄土の光をつなぐことができます。「痴」は一般的には無明、より具体的には我執といいます。子どもには、「自分が一番正しくて偉い」と思う心、それが「チ」です。自分が正しいと思って、他人の賛美を得てとてもうれしくて、「貪」です;他人が自分が間違っていると怒るのは、「嗔」ということです。もともと正しいことは正しい、間違っていることは間違っていて、人がいいとか悪いとかでは変わらないのに、自分が偉いから自分の考えが一番正しいと思っています。単純な事実に、立派な「我」がつくことで、「痴」がつくのです。自分に賛同してもらえるのがうれしい、認めてくれる人が多ければ多いほどいいと思うのは「貪」です。人が自分を認めてくれないから怒るのは、「嗔」です。自分は正しいのに、人が賛成してくれないからといって怒るのであれば、いくら自分が正しくても怒るのは正しくありません。自分が正しいから怒るのは、「嗔」です。自分の誤りを認めないで怒るのは、「痴」でも「瞋」でもあります。だから貪瞋痴は人の生命の中の3つの問題で、人は生きている限り避けられません。仏は「三毒」といって、これを飲むと輪廻に苦しむ毒だといいます。しかし、この三組の毒薬は、私たちは、昔からずっと、一生のあいだ、飲みつづけてきたのです。三つの毒の中でも、「自分が一番正しくて偉いと思う」心が一番の問題です。「痴」の中から、「貪」と「瞋」が生まれます。だから「痴」は三毒の根なんです。貪瞋痴が三毒だというのはすごいことです。仏の前にも後にも、誰もそんなことを言っていないのですから、これは仏の大智慧が見た真実なのです。それだけでも立派なことですが、それよりももっと立派なのは、仏様が我々が毒を飲んでいることを知っているだけでなく、知っている薬を出して、じきに来てくれたことです。病の重さによって薬の処方も異なりますが、その中でも浄土法門は我々に最も適した薬です。阿弥陀仏とはどんな仏様でしょうか。阿弥陀仏は我々の貪瞋痴を完治するために成仏されたのです。阿弥陀仏の成仏後の名号は、「南無阿弥陀仏」のほかに「十二光仏」とも呼ばれ、阿弥陀仏の光明に十二の働きがあることを教えています。十二光にはそれぞれ意味があって、「清浄光」、「歓喜光」、「智慧光」の三つがあります。「清浄光」は「貪」を治め、貪らない心が最も清浄で、阿弥陀仏の心は無私無我であるから、最も清浄で、しかも私たちを感化してこのような心になります。「歓喜光」は「瞋」を治して、阿弥陀仏は私達に人生の中で最も良い贈り物を得させます——往生して成仏して、このような贈り物を得て本当の喜びが満足して、何も満足しなくて、すぐ怒りにくくなりました;「智慧光」は「痴」を治し、仏の智慧は私たちの愚痴を治し、私たちの世界を自分だけではなく、すべての人が入るように広くし、自分も幸せになり、すべての人と幸せを分かち合うようにしてくれるのです。(師匠蒙光4.13開示 )
廃立とは、法然上人が最初に使った名詞で、選択、取捨選択を意味します。如来は諸法を説き、方便あり、真実あり、方便は真実より出で、真実を導入するために説きます。如来は衆根根機を調熟するために方便の法門を説き、真実教に転じさせられました。だから便利教は廃れるために語り、真実教は立つために語ります。広は四重廃立があると言いました。(1)内外廃立。(2)聖浄廃立。(3)要弘廃立。(4)真弘廃立。すべての人の求法は、死から生に至るまで四重廃立の過程を経るのです。だから四重廃立は、如来が衆生を摂るための手順でもあり、念仏を唱える人の心の道程でもあるのです。(1)内外廃立。仏法と外道の選択です。如来の出世説法は、衆生に心物二元、神我対立を捨てて心外求法の迷執を求めさせ、般若の空性の智慧や同体の大悲を知らない外道教を捨てて、仏法に向かって真の解脱を求めさせます。「三重廃立」とは、仏教内部の教法について分判をすることで、「内外廃立」を省略したものです。(2)聖浄廃立。仏法では、聖道と浄土の二門を開きます。聖道は自力修戒定慧三学によって解脱を得、浄土は他力本願によって浄土に往生して成仏します。竜樹菩薩より三国七祖相承の教は、皆時(時は末法)、機(地獄必ずの機)に明依し、唯浄土一門のみ仏道に通じます。故に聖道を舎てて修学すべく浄土門に入りました。(3)要弘廃立。浄土門にも自力(十九願・観経)、他力(十八願・大経)の別があります。浄土門に入って諸功徳の定散諸善発願を修して往生するが、浄土の可依を知り、聖道から浄土に入る関要であることから「要門」と呼ばれ、徹底して仏心を顕示する「弘願門」と対になっています。己を舎て、我を忘れて、如来に帰する功徳すべきです。(4)真弘廃立。他力に入りますが、自力心はなお残って、定散二善の諸行為の小善根福徳を見て、一心不乱をもって名を大善根福徳といい、仏徳が「真」であることを知っているので、「真門」(二十願・小経)と言います;自力称名を以て仏心を領解せず、本願に相応せず、まだ弘願門(十八願・大経)には入っておりません。故に如来は衆生に自力を舎てて名を称せ、他力本願の信心に入ることを勧めます。最後の要弘廃立と真弘廃立は三願転入で、ここに便利を捨てて真実を現し、十八願を立てて衆生に選択させ、如来の悲智と願心の方が完全に満足するから、十八願を選択本願といいます。我々が本願を選択する信心一門に入ることができるのは、非依自意の選択であり、法爾自然すなわち如来の本願力、功徳力の令然であります。ゆえに、機の廃立は、法の廃立に帰すると申します。信心に我はなく、ただ仏心に相応するのみです。親鸞会の「三重廃立」をどう思いますか三重廃立は親鸞会の教えですから、親鸞聖人も法然上人も関係ありません。内道、外道とは、仏教では明確に「心外求法」を外道とし、万法唯心一体を内道とします。因果の理を「内道」と信じる説がどこにありますか?基本的な仏教の常識すらありません。私の師匠は言いました如来の出世説法は衆生に心物二元、神我対立、心外求法の迷執を捨てさせ、般若の空性の智慧や同体の大悲を知らない外道教を捨て、仏法に向かって真の解脱を求めさせます。以上同様に内外廃立、二つの説がありますが、どちらが仏教の正説なのか、少し仏書を読んだことがある人なら判別できるはずです。そうでしょう?