義母の謎めいた友人たち | みあぷーのブログ

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今年も母の日のお祝いに、義母んちへ行った。


特に母の日やからって、プレゼント(いつものようにお金)あげたくらいで特別なことはしなくて、義母がCOSTCOに買出しに行かなきゃっていうから、みんなで行っただけ。

ま、うちへ帰ってきて、サムと一緒に話してたんやけど、お義母さんて、ちょっと変わった人と知り合いになる。

その友人関係は長く続かへんねんけども。

そういえば、今はお義母さん、誰ともお付き合いもないみたいで、落ち着いてるな。

一昔前は、お義母さんの住んでるアパートの住人で、”グランパ”って言われてた頑固なおじいさん(70歳半ば?)やジョーっていう少し知的障害のあるおじさん(60歳半ば?)と友人としてお付き合いがあって、しょっちょうもみんなでどっか行こうってうちらも借り出されてたな・・・汗

グランパは感情の起伏が激しかったから、機嫌の悪いときは、あんまり近づきたくない雰囲気やった。
ジョーは、とってもピュアな人で、義母の友人の中でも一番好きな人やったんやけど、今どうしてはるのかな?

まだ子供が生まれる前に、グランパのボロい(ごめん)バンで、このグランパとジョーとお義母さんとサムとエイドリアン(サムの4歳年上のお兄ちゃん)と私・・・とそうそう義母の飼ってるシーズーの”シャドウ”とで、カリフォルニアへロードトリップした。

途中、このバンが故障して、レンタルカーを借りる羽目になったな・・・ガーン

今考えると、よくこの一癖も二癖もあるメンバーと行ったなぁと感慨深いものが・・・得意げ

今では、グランパはお年寄りが行くナーシングホームへ行っちゃったし、ジョーも引越した。
エイドリアンは日本で結婚してずっと日本に住んでるし、シャドウも事故で亡くなったしな・・・あせる


あ、そうそう、数年前まで義母のアパートを定期的に掃除してくれたボスニアの家族もいたな。

この家族はボスニアからの難民らしくて、当時は40代後半くらいのお父さんとお母さん、ティーンのお姉ちゃん二人に、中学校くらいの男の子。


義母と知り合ったきっかけもすでに変。

彼らは、毎年夏休み2ヶ月あまりをボスニアに帰って暮らしてるらしくて、その度に、アパートを借りてる契約を解消していかなくちゃいけないらしい。

つまり、ボスニアから帰ってきても、住んでたアパートは誰か違う人が借りてることが多く、空き部屋が出るまで、ホテルかどこかに住まなくちゃいけない。

そこへ、義母が毎年その家族を住まわせてあげることになった。

でも、その代わりその子供たちに掃除してもらうって約束で。


その家族みんなとってもきれいずきで、親切でいい人たちやった。

それに親日家で、私が日本人って知ると、自分たちの国(ボスニア紛争のあと)に日本(の商社?)がいろいろ道路やら橋やらインフラを建設してくれて感謝してるって言ってくれてた。クラッカー

日本て、私たちは知らされてないけど、いろんな国にいろいろ貢献してるんやなって思ったよ!ニコニコ


結局、その家族とも何が原因かよくわからずじまいやねんけど、ケンカ別れして、その家族はどっかに引っ越してしまった。



話が脱線したけど、ほんとに義母って変わった人をひきつけるもんがあるんよ。

サムが昔を思い出して、サムが4年生くらいの時、義母が知り合ったミス・ベリー(Miss Berry)っていう人の話教えてくれた。

サムが6歳くらいのある日、義母がサムとエイドリアンのナニー(住み込みのベビーシッター)としてミス・ベリーを連れて来た。


分厚いめがねをした50代後半から60代前半くらいの小太りの白人のおばさんで、結婚はしていなかった。

モリーという猫を飼っていて、「モ~リ~、ミルキィ~!」って、モリーにミルクを上げるときに呼ぶんやけど、サムが彼女の真似しようとして変な言い方で言うから、なんかおかしくって、久々に大笑いしてしまった~にひひ

そして、彼女は口笛を吹くくせがあっていつも同じ曲だったらしく、サムは今でもその曲をくちづさめるって、自分もやるから、またまた大笑い~~あせる

(今ね、これ書いてて、なんでそこまで大笑いしたんかよくわからないんやけども・・・)


↓謎のミス・ベリーをイラストで再現してみました。