ブルルルル 単車にまたがり

低速で東京の街を徘徊する

一日の疲れを噛み締めて

するすると進む道

風よ、少しだけ体温を下げてくれ

ブルルルル

ありがとうございました~

 

私の鉄馬は元気です


巨人伝説は世界各国いたるところに存在するようだが、これから私のする話は昔話の一種でおとぎ話の類である。

 

元来おとぎ話にもいろいろとウンチクがあるようで、教訓じみた噺が多いようだ。これが教訓を垂れるために作られたのか、噺に後付けで教訓を付けたのかは知らないが、どちらかというと後者が多いだろうという私には思いがある。


【昔の怪物君】


西洋でいうガリバーや日本なんかは鬼なんかも巨人のおとぎ話に入るかもしれないが、巨人というだけで子供の興味をひきつける響きがある。そこにはクタビレタ大人がこしらえた下らない教訓なんかを付け加えてほしくないのである。

 


【いや、実在したら困るのです。】


日本の巨人伝説には色々と種類があり、手足だけがやたらと長い手長足長という異形を思わせる妖怪じみた話しも各地に点在するが、やはり正当的なものは「だいだらぼっち」だろう。これも呼び名は違えど日本各地でその手の話が語り継がれていたようだ。

 

【新劇の巨人・・・ん!?】


足あとや手型が湖や沼になったとか、富士山から筑波山まで数十歩で歩いたとか、山に腰かけたとか、それだけで良い話だな~と頷いてしまうし、それだけで良いのだ。巨大な貝塚があればそれは「だいだらぼっち」の痕跡であり、日向の土地があれば、それは「だいだらぼっち」が山を動かしたのだ。

 

【お前ではない】

なんて素晴らしい噺だろうか。世界の七不思議がなんであるか知らないけれども、だいたい「だいだらぼっち」だと考えて間違いなさそうだ。もう答えが見えているので七不思議でもなんでもなく、単なる「世界の七」となってしまう。

 



おとぎ噺の実は怖い内容だったとかの類の本が売られているが、くだらなく思えてくるだろう。そう、「だいだらぼっち」なのだ。「だいだらぼっち」でよいのだ。もちろん、代田の地名の由来は「だいたらぼっち」からきている。井之頭線も「だいたらぼっち」が作ったのだろう。
 


今年はめっきり海水浴に行かなくなってしまった。年間10以上の海で泳いでいたのが、今年は一回と寂しい結果に終わりそうだ。仕事でのドタバタで心身共に余裕がなくなってしまったのか。

しかし、海は良いですね。鎌倉の海は遠目では色濃いのだが、近くに行くと澄んでいて気持ちが良い。腰越海岸の警備は素晴らしく、要所要所で海水浴客に危険がないように促している。何よりも足が着かない場所よりも、少しではあるが沖に泳がせてくれるところが良い。

泳ぎに自信がある者にとって、足のつかないところまで少し気張って泳いで行くのが海水浴の醍醐味の一つだと思う。沖に大きな島とも入り江の小山とも見えるのが夏にふさわしい景色になっている。少し練習すればあの島だかに泳いでたどり着けるかなと考えていた。

私は浜辺のバーカウンターでバーテンに沖の島みたいなのは何か聞いてみた。バーテンはあれは島ですと笑う。成程、大きな道路が陸から島に掛かっているので、パッと見て島だか入江だか分りずらい。島の壁に小さな街並みが見えるが決して千人もの人が住む島には見えない。

バーテンが涼しげな顔で言う。「あそこは歩いても行けますよ。小さな京都みたいで楽しいですよ。」ほう、今度機会があったら島の探検にでも行ってみたい。私は念の為に謎の島の名前を尋ねた。「あっ、あの島ですか?江の島って云うんですよ。」

私に恥ずかしさが強烈な圧力で襲ってきた。私はアルコールを威風堂々と受け取り自分のパラソルの下にモグリ込むのであった。