「経験は、あり方を教えるが、問い方は教えない」
上記は、ドイツの哲学者、ハイデッガーのことばです。
彼は、フッサールの現象学の方法に基づいて、
人間存在の根本構造を時間性として実存論的に分析しました。
ここに、部屋が一室あると仮定します。
その部屋の真ん中には机があって、その上にはりんごがあります。
それは、赤くて大きくて、新鮮で汁気の多いりんごです。
りんごは、空間と時間を占め、さまざまな属性を持つのです。
りんごは、そのさまざまな属性の束なのでしょうか。
あるいは、これらの属性を有する実体なのでしょうか。
「赤い」ものといわれて、「りんご」を連想することができます。
「りんご」とは「赤い」ものであると想像することもできます。
つまり、「りんご」と「赤い」は、まったく違う概念でありながら、
互いの属性となり、それを定義しうるわけです。
りんごは、空間と時間の内に存在します。
空間は、りんごがそこに位置するためにあるのでしょうか。
たとえば、りんごを含むすべての存在が消滅した場合、
その枠組みである空間は依然として存在するのでしょうか。
私は、私の存在を、どう問うべきなのか、
そのこと自体を問うために、また問い続けるのです。
by スグル