10分間で、2ケタまでの計算問題を100題、
あるいは、常用漢字の書き取り問題を100題、
無作為に選ばれた100人ずつが解いたとき、
果たしてそのうち何人が全問正解できるでしょうか。
おそらく、いずれも10人にも満たないでしょう。
これは、頭の良し悪しとはまったく関係ありません。
なぜなら、人間には間違いがつきものだからです。
つまり、人間のすることに「完璧」などあり得ないのです。
さて、ここにAという集団があると仮定します。
そして、これに100のことが教えられたとしましょう。
当然のことながら、個人差はありますが、
理解度の平均は、6割程度、約60になると思われます。
この結果を受けて、もうひとつのBという集団には、
項目を絞り込むことで学習効率を上げようと、
理解度が高かった60のことだけが教えられたとしましょう。
これが、かつての「ゆとりの教育」なのですが、
さて、この場合、理解度の平均はどうなるでしょうか。
やはり6割程度、つまり約36になるだろうと予測できます。
なぜなら、Bの集団にとっては、その60がすべてだからです。
いわゆる「ゆとりの教育」における最大の問題点は、
ことの重要度や難易度を、おとなの都合で勝手に決めたことです。
新しい学習事項が重要か不要か、また難しいか易しいかは、
それを習う子どもたち自身に判断させるべきことなのです。
結果として、知的好奇心を少しも覚えることなく、
常に受動的な子どもたちが大量生産されてしまいました。
ときおり社会問題のひとつとして取り上げられる「ニート」は、
「ゆとりの教育」の副産物などといわれますが、とんでもないことです。
彼らこそ、まさに主産物なのです。
おとなのすべきことは、子どもを縛りつけたり、
あるいは、子どもに楽をさせたりすることではなく、
持てるものを、余すところなく譲り渡すことではないでしょうか。
by スグル