突然 大切な友人が世間から姿を消すように、
それまで普通に行けていた
仲間の集う場、職場、人のたくさんいるところに
顏を出せなくなったことがありました。
ココロに思うコトがいっぱいとなってしまい、
カラダが機能をストップしてしまったのです。

当時はまだEメールも普及しておらず
連絡手段は電話かfax、という時代。
時折 友人が掛けてくれる電話で
彼女がお話してくれる“自分のココロの内”に
わたしはどう返事をしたらいいのか、
どんな声を掛けたらいいのか、もわからない状態でした。
何を話したらいいのか、わからなかったので
わたしはずっと「うん」 「うん」 「そうなんだね」と
ただ相槌を電話で打つだけ。
そんな電話のみでのやり取りがしばらく続き、
友人がココロの病から快復した時のコト。

「あなたが ただ話を聞いてくれて、うれしかった」と言われたのです。
単にわたしは、なんと返したらいいのかわからず
でも電話で無言はおかしいので
「うん」「そうなんだね」「そうだよね」と返していただけ、だったので
アタマの中に疑問符だらけ。
「ココロがしんどい時に
ただ吐き出したいことを受け止めてくれてうれしかった。」と
教えてくれました。
「ただ気持ちを吐き出したい時に
『わたしだったら〇〇するなぁ、もっと〇〇もしてみたら?』
『〇〇病院に行ってみてもいいかも、あそこの先生いいよ』
『そんなことクヨクヨ言っていちゃダメだよ、もっと元気出さないと』
『そんなんだから病気よくならないんだよ、変わらなくちゃ』
って、善意であっても アドヴァイスされて戸惑うコトが多かった」
「ただ吐き出したいこと、と相談にのってもらいたいこと、って
別なんだよね。
あなたは ただただ聴いてくれた、ありがとう」と。
「ただ吐き出したいこと、とアドヴァイスしてもらいたいこと、の
お話のちがいが判らない時は どうしたらいいの?」と
聞いた時の彼女の返事が
「わからなかったら聞いて欲しい。
『なにかわたしはアドバイスをした方がいいのかな、
それともお話をきかせてもらっていたらいいのかな』って。」

それまで わたしは自分の持っている知恵や知識、情報、感想、知っていることを
すべて伝えるのが「いいこと」「親切」「人に対する好意の表れ」だと思っていました。
なにか大切な友人の力になりたいのに言葉が出てこず
友人の病に対する知識も何もなかったため、
ただ聴くことしかできなかった自分を、
不甲斐なくさえ感じていました。
でもこの時に ただ聴く、ということを喜んでもらった、
はじめての経験をさせてもらったのです。
もっとずっと後に わたしは
「傾聴」というコトバを知りました。
「耳とココロとを その方に傾けてただ聴かせていただく」という
心理学の「聴き方」の手法ですが
傾聴の姿勢でお話を聴かせていただくと
相手の方は 「自分のコトをちゃんと受け止めてくれている」と
ココロを開きやすい環境・状況を作るコトができます。
自分の考えや意見、知識を伝えることは
時には相手に「そんなこと聞きたい訳じゃないのに」という想いを
抱かせてしまうこともあるのです。
ただ ただ ココロと耳を傾ける。
ibマッピングでも、わたしがさせていただいているのは
ただただ、ココロと耳をあなたに傾けるコトだけ、なのです。
リクエストをいただいておりましたので ここに再開いたします。
「初めて 想いをヒトに話すことができました」
「自分の方向性が 見えてきました」
ただただ、 わたしのお役割は
あなたのコトバ・想い・ココロに寄り添うことだけ。
整えたい感情・環境・人間関係・事象が スッキリします。
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