わたしも去年の夏、40歳を迎えました!
つまり、今年の夏、41歳。
着々と40代を刻み始めています。
 
38、39歳あたりから40歳がチラつき出すけど、自分が40歳になるなんて信じられないというか、信じられなくたって抵抗したってその日は生きてる限りやって来るのだけど。
幸い?今でも毎年お誕生日にメッセージを送り合う地元の同級生たちがほぼ夏女で笑、その中でもわたしがトリだから、7月になるともう自分も歳を重ねる心の準備が
勝手に整います。
 
今年の誕生日は、妊婦として迎えました。
3度目のマタニティ♡
 
 
また男😂😂😂
今さら女の子育てられる気がしないから男でホッとしてる
 
38歳になる直前に2人目を産んですぐさま、
もう1人産みたい!」と感じている自分にビックリしました。
それは男が続いたから、絶対女の子が欲しい!とかは全く関係なくて、
2度目の分娩台に乗った瞬間、「あーもうこれで終わりにしよ」って
確かに思ったのに。陣痛の痛みより、お股に挟まる痛みの方が怖い派😂
 
旦那に「もう絶対要らん」って言われたり、
知人の方に「もう産み納めやね〜」とか言われたりする度に、それこそ
モワッとすっごく反抗してる体感が確かにあったのです。
頭でも、つくづくわたしって子育て苦手やな
子どもの相手を楽しんでできないタイプやなって自覚していたのに。
ふにゃふにゃの赤ちゃんは大好き😍見かける度にときめく😍😍
 
とにかく、思考では、子育ては嫌だけど、痛いのも嫌だけど、
早く自由になりたいけど、どこからか湧いてくる、
ただもう1回産みたい、という一見矛盾しているような感覚。
(これをわたしは勝手にジェットコースター理論と呼んでいる)
 
40歳の誕生日も割と淡々と受け止めて、妊娠するならラストイヤーだなぁ〜と
ぼんやり思っていました。
(あんまり歳の差あいたらもう要らない、という勝手な思考)
 
そしてまぁギリギリに授かって。
 
この夏さきこさんのこの記事を読んで、
あぁ、わたしの肉体、生殖機能をめいっぱい使いたがっていたんだなぁ、
結構、本能的だったなぁって、なんだかとっても納得しました。
 
頭でもラストチャンスと思って今回のマタニティライフ送ってるので、
42歳も43歳も、抵抗なく迎えられるかなって想像してます。
まさかまさか、産んだ瞬間、「やっぱりもう1回」って、、言わないよね??
 
ようやく2人目が来春入園して時間にゆとりができる予定だったけど、
日々欲している1人の自由な時間だけど、
わたしはもう犠牲解放もどちらも同じ愛♡として持つことができます。
とゆーか、そうする覚悟が持てたからきっと授かった3人目。
 
産む機能を携えたこの肉体を、
妊娠、出産、そして子どもと過ごす全ての経験を、時間を、喜んで神様に捧げます。
それがこの魂の、全ての繁栄だから。
そのプロセスであるこの真知としての人生に起こる全ての事象を糧にする姿勢が
真知の真知に対する愛♡
 
何を捧げているかってやっぱりそれは自由で、
それでもこうして本質的に喜んで犠牲になるからこそ、いざ解放されるときに
寂しさが混じるのだろうな。
解放されたあとに取り戻す無限の自由は、
そこからのわたし、新たなステージのわたしの経験、時間への期待に溢れている。
それもまた、この真知の人生を全うしたいという愛♡だなーとまるっと繋がったのです。
 
一見真逆のような犠牲と解放が同じものとして見えてきたとき、
ほわわ〜〜ん♡とあたたかい気持ちに緩みます。
それをわたしの中の真実として認識して生きて行く。
そんな生き方を、在り方を、見方を今ここで選べていることが幸せです。
 
さきこさん、設定変更大学で共にお稽古を重ねた仲間に感謝です。
 
 
 
 
Blessing Leo🦁💖