「ヤバいよ!ヤバいよ!」
と誰かが大声で話してるのを聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべるだろうか?
・危機的状況に陥り、助けを求めている
・雑談に花が咲いて、盛り上がっている
・出川哲朗がロケをしている
人によって「ヤバい」の定義は様々である。
しかし、「ヤバい」というのは「ヤバい」くらい便利な魔法の言葉だ。
「ヤバい」は嬉しいとき、悲しいとき、辛いとき、どんな時でも使える方便である。だから当意即妙に自分の意思や感情を伝えることができ、会話のテンポを良くしてくれる、とても便利な言葉だ。
一方で、「ヤバい」には危険も孕んでいる。
人によってヤバいの解釈が違い、「ヤバい」だけでは議論が成立しない。
「ヤバい」自体に意味は存在しない、具体的な意味がない、何に言及しているか分からない。つまるところ、「ヤバい」は「唯一無二」の言葉ではないのだ。
法治国家・文書主義の我が国では、何かを訴えるにしても法律の後ろ盾が必要だ。当然法律は全て日本語の文章で書かれている。何かを訴える文章には、一意の言葉が必要だ。
だから刑法に「ヤバい罪」という罪状は存在しない。
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本日Yahoo!ニュースで取り上げられていた以下のニュース
「セクハラ定義ない 法の問題点」
福田淳一前財務事務次官のセクシュアルハラスメント問題を受けて、麻生太郎財務相は、「セクハラ罪っていう罪はない」と事務次官をかばうような発言をしました。他方、野田聖子女性活躍担当大臣は、セクハラ再発防止策に向けた検討を始めると述べたということです。このような状況のなかで、セクハラに関する現行法の問題点について、ハラスメント法制に詳しい、独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT)の内藤忍副主任研究員にお伺いしました。(千田有紀)
セクハラは現状の法律では定義できていないのが法の問題点だという。
私の意見として言わせてもらえば、これは法の問題ではない。「セクハラ」という言葉の使い方の問題だ。
「セクハラ」という言葉を使っている以上は一生セクハラは無くならない。
何故なら、「セクハラ」という言葉自体には「ヤバい」と同じく人によって解釈が違う。一意の意味を持つ言葉でない限り、法律には載せられない。「セクハラ」もやはり、「唯一無二」の言葉ではない。
だから「セクハラ罪」というのは一生成立しない。仮に「セクハラ罪」なるものが成立してしまったら、法治主義・文書主義の今の日本は崩壊してしまうだろう。
だから私は「セクハラ罪」成立には絶対反対の立場を表明しておきたい。
日々法律と向き合っている財務省の官僚たちですら「セクハラ」という言葉はちんぷんかんぷんのようだ。それもそのはず、彼らは法律文という一意の言葉ばかりが集まった文章にばかり目を通しているからだ。だから、「常識とずれている」のではなく、「法律からずれている」のだ。
山口達也、財務省、ハーヴェイ・ワインスタイン、、その他大勢。
今の世には「セクハラ」が「ヤバい」くらいはびこっている。
そんな「ヤバいセクハラ」をなくすための「唯一無二」の方法、それは「セクハラ」という言葉をこの世からなくすことだ。
セクハラという言葉がこの世から消えればセクハラはなくなるのだ。
「セクハラ」をもっと具体的な言葉に変えて、世に訴えるべきだ。
「ヤバい」じゃ組織は動かない。「セクハラ」も同じである。