ブログのアップが段々間があくようになった。
コメントを交換し合う何人かのブロ友さんもスーッと消えていった。
これがネット上の繋がりなんだ。
私もいずれそういうふうにスーッと消えていくのかもしれない。
ここ1週間、ブログから離れていた間に日本でも世界でも色んな事が起こった。
身近な所で一昨日の豪雨は、かなり緊張感漂った。
娘がちょうど雨量の最高時に電車に乗っていて、他の私鉄では運行休止のニュースも入り車の迎えも心配した。
翌日、何事もなかったように普段と変わらない街の風景。
参議院選、投票日前日の突然のニュース。
私の心中は様々な思いが交錯し、その思いをブログに吐き出す訳にもいかず唯一夫と話し合った。
こういう話題を話せる相手は何人かいるけど、ちょうど体調を崩してもいたのでそれを熱く語る体力も気力もなかった。
そして海外では相変わらず、ウクライナの悲惨なニュース。
体を震わせている子供の姿が何とも痛ましい。
あらためて自問する。
「何か出来ることはないか」と。
スリランカ国破綻、非常事態宣言。
大統領国外脱出。
報道で知る限り、相当酷いトップのよう。
しかし、今朝の新聞にはもうこの関連した記事は無かった。
日本にとってこの国との関係性はそう深くないのかも。
この国に行ったブログがマイページで過去のブログで偶然紹介された。
象に乗ったり、2000段のシギリアロックに登ったり、アーユルヴェーダーの体験など楽しい思い出があった。
たった1週間の時間で様々な思いが駆け巡った。
ふと、この詩が浮かんだ。
「…生きよ、今日が最後の日のように」
踊れ、誰も見ていないかのように
恋せよ、傷ついたことがないように
歌え、誰も聴いていないかのように
働け、金が必要でないかのように
生きよ、今日が最後の日のように
アルフレッド・D・スーザ