今回のBGMは、退会に焦点をあて、過去に役員と対立して上野学園を解雇された経歴をお持ちの横山幸雄さんの演奏を集めてみました。

 

♪ショパン:エチュードOp.10-1

 

 

♪ショパン:エチュードOp.25-6

 

 

♪横山幸雄:アヴェ・マリア(バッハ=グノーによる即興)

 

 

♪【ダイジェスト】横山幸雄 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全32曲連続演奏会[第1日]

 

 

♪【ダイジェスト】横山幸雄 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全32曲連続演奏会[第2日]

 

 

横山幸雄さん、ファンです!

 

Wikipediaより

2010年5月4日 - ショパンの全166曲を16時間弱かけて弾き通し、ギネス・ワールド・レコーズの「24時間でもっとも多い曲数を1人で弾いたアーティスト」に認定される。
2011年5月3日~5月4日 - 未発表曲を含め、確認されているショパンの全ての独奏曲212曲を約18時間かけて暗譜で弾き通し、自身が持つ「24時間でもっとも多い曲数を1人で弾いたアーティスト」のギネス記録を更新

 

私、これを聞いた時、「東京に演奏を聞きに行きたいっ!!しかし仕事の都合が絶対に合わない…涙」と物凄く悔しい思いをしていました。演奏会スイッチ入っていたため、もうハンカチ噛みしめる思いでした。上京を決めた理由のひとつが「もっと演奏会を聞きたい!特に横山さんの演奏会を聞きたい!」です。

 

実際幾つか足を運んでみて、やはり凄いというか、演奏会終演時のスタンディングオベーションが、普通のクラシック演奏会を逸脱しています。ベートーヴェンピアノソナタ全曲演奏会は行くのをあきらめたのですが、こちらで一部拝聴できるので非常にありがたく嬉しく拝聴しています。特にNo.18が好きなので、聞くことができて嬉しいです。通例通りであれば、衣装はおそらくコシノヒロコ。

 

 

 

さて、前置きが長くなりましたが、本題に入ります。

 

 

シーズンネタなのか、こちらの記事。PTA解散ではなく、上部組織からの退会ということで。

 

Wikipediaより

日本型PTAの登場


1946年(昭和21年)の春、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の要請によりアメリカ合衆国から派遣された教育使節団が作成した報告書、アメリカ教育使節団報告書(第一次報告書)が発表された。同報告書では、PTAに直接言及はないものの、いくつかの箇所でPTAの理念に及ぶ考え方が示された[13]。また、1947年(昭和22年)4月には、極東委員会も「日本教育制度改革に関する指令」を定め、PTAが民主主義教育推進のために積極的な役割を果たすことを期待し、勧奨した[13]。

GHQは、これらの基本方針を元に、総司令部の民間情報教育局(CIE)と地方軍政部が担当して、全国の学校へのPTA(父母と先生の会)の設置を奨励・推進した。実際の事務を担った文部省は省内に「父母と先生の会委員会」を設置して審議研究を進め、同委員会は「父母と先生の会‐教育民主化のために‐」と題するPTA結成の手引き書[14][15]を作成した。

1947年(昭和22年)3月、この手引き書は、文部事務次官名で全国都道府県知事にあてて通達された。通達が出された翌年の1948年(昭和23年)4月には、全国の小・中学校のPTA設置状況は7割を超えた[16]。1948年(昭和23年)3月には、『〔父母と先生の会〕参考規約(案)』(第一次参考規約とも呼ばれる)が文部省社会教育局社会教育課から出され、1954年(昭和29年)2月には、『小学校〔父母と先生の会〕(PTA)第二次参考規約』が文部省父母と先生の会分科審議会から出された[17]。なお、戦前から存在した各学校の「後援会」などはPTAに看板を変えたり、地域住民を交えた団体としてPTAとは別組織として存続した。

 

 

そもそも、GHQが推奨した組織というね。

 

私がPTA会員を辞めた話を書きます。

 

第1子が入学当初、PTAを理解していなかった私は、最初の一年はPTA活動は遠巻きに見ていようと、会員登録をしなかったのですね。そうしましたら、最初の保護者会の時に、役員のかたから封書を渡されました、中を見てみると、「PTA会員に入会しないと、非会員であることを周囲に知られる場合がありますが宜しいですか」という脅しのような文言が書かれていました。仕組みがよくわからなかった私は、後で入会できなくなるの?と不安に思って、慌てて入会したのでした。

 

しかし、1年生保護者の仕事はほとんどなく、見回りをした程度でした。そして次の役員募集の時に、仲良くなったママさんが誘ってくださり、興味を持って役員に挑戦したのでした。そして前の役員さんから仕事を引き継ぎ、幾つか仕事をしたのですが…。

 

前の役員さんが決めたやり方で進めていた内容で、疑問があったので相談したら、たらい回しにされました。仕方なく自分で考え、最善を尽くした結果、なんと「勝手に進めないで相談してください!!」と言われることに。それがですね、毎年ボランティアが集まらないので、PTA活動の免除特典をつけて募集し、それを整理して報告する、というものだったのですが、対象期間の相互認知が曖昧で、誤解が生じている状態でした。それをなるべく負担の少ない形で解消しつつ報告するという道を探ったのですが、まぁ色々考えさせられました。

 

そもそも、無償である行為のボランティアに特典をつけるってどうなの?そこまでして集める必要あるの?共働き世帯が多い現代で無理ありすぎじゃない?そこまでしないと集まらないなら、そのボランティアが必要なイベントそのものをやめるべきなのでは…。

 

悶々としていたところ、子供を公園で遊ばせていたら、子供が遊具から落ちて怪我をしてしまい、救急搬送されることになってしまいました。縫合処置をしてもらって帰ったのですが、これが決定打となって、一度引き受けたPTA役員を降りる決意をしました。神様が「子供のほうを向きなさいよ」って言ってる気がしました。まぁ、子供がケガしたのは、100%本人の責任でしたけどね(笑) うんていをして手が疲れてしまって、次の遊具から手が離れてしまったのでした。

 

そんな訳で、PTA役員を降り、活動内容に理解も納得もできず、思い切ってPTA会員も脱会したのでした。当初「非会員であることを周囲に知られる」と脅された記憶を思い出しながら、現役員と旧役員に「退会する」とはっきり周知してやめたのでした。

 

しかし役員の中には理解してくれる人もいて、「やめるという形で問題提起するのも有りだと思う」と言ってくれた方もいました。

 

後から思えば、もともと小学校通学に反対で不登校を待ちわびているのに、辞めたとはいえPTA役員に挑戦するまで学校に対して気持ちが変わったし、短期間でしたが役員の仕事や問題点が見えたし、何も得ることなく非会員でいるよりは納得して非会員の道を歩めたので、良い経験させて貰ったなと思ってます。

 

そんなこんなで、すっかりPTAのしがらみから離れて忘れ始めていたころ、工藤校長の新著を見つけました。

 

 

 

「壇上のエラい人」は日頃、どんな仕事をしているのか? どういうステップを踏んで管理職になるのか? 実績を上げる校長は、どこが凄いのか? PTA、教育委員会、議会との関係は?――現職校長が知っているようで実は知らない実態を明らかに。著者は『学校の「当たり前」をやめた。』で反響を呼んだ麹町中学校・前校長。現在、校長を務める横浜創英中学・高校の改革も適宜紹介。その気になれば、校長はここまでできる! 全教員必携の経営論・人材育成論にして、保護者向け永久保存版テキスト。
まえがき――実は大きい!「校長の力」
1章 生徒と教師が自律するマネジメント
2章 つねに最上位目標に立ち返る
3章 校長になるプロセス、なってからの権限は?
4章 教育委員会、議会の知識はなぜ役立つのか?
5章 保護者やPTAとどう付き合うか?
6章 言葉の力――いかに価値観を揺るがすか
7章 民主主義の学校―対立を恐れない心をどう作るか?
あとがきに代えて――横浜創英が進める「学びの大転換」

 

 

この方は林修さんが紹介されていて、宿題、固定担任制、期末テストなどを廃止したという先生です。

宿題は百害あって一利なしと仰っているとか…。これは佐藤亮子ママも言ってましたね、宿題は無駄だから、子供の宿題は亮子ママがやってたと。

 

林先生との動画は見つからなくて、似たような感じのを探してみました。

 

 

 

この工藤校長の活躍には注目しています。因みに、PTAについて「なくても問題ない存在」とはっきり仰ってました。しかし、彼はPTAと学校の関係を、間を取ってうまくバランスを図っているようです。その落としどころを見つけられることが凄い。私には無理です。

 

個人的に出ている答えは、「子供のためを考えると、PTAは不要」です。ただ、多くの学校がこれに辿り着くのは、10年か20年か先でしょうね。幼稚園保育園もそうですが、子供のほうを向かないで、他所のことにエネルギーを注ぎ込むことが楽しい保護者が多いのも事実です。自宅保育する人が少ないように、PTA活動にNoと言う人も少ないでしょうね。

 

もっとも、学校そのものが、負担しすぎです。しかしこれは、社会が変わらないと多分変わらないです。いや、校長が変われば変わるのかもしれない?でも、校長の任期は2,3年で終わってしまうので、前年を引き継ぐほか出来ることが少ないと工藤校長書かれていました。

 

来年もまた今くらいの時期になると、PTA関連のニュースが報じられることでしょう。来年のニュースも楽しみにしています。