五年も 早いもですね。辛い事でしょうね。
私ができる事は と野菜とか服とか 布地やミシン、米、牡鹿半島の小学校、お寺、ボランティア団体の集まりの居場所三ヶ所に送り続けました。
自己満足と一言に成るかもしれないけど
10日間 友人と行ってきました。さすが石巻市は
、本当に遠い場所でした。ネックウオマーを、
五百枚 を編んで頂いて  小学校やボランティア団体とかに、配って周りました。目を背けたくなるような場所がいっぱい見て帰りました。話しも、仮設住居も集まりのチラシを配って歩き 話しも聞いて回りました。自分の力不足を知りました。
先ずは  ボランティアに出かける若者たちの朝ごはんを 準備の仕事が 一番私には 合った仕事を  させていただきました。まだまだ不便な生活の中で過ごされている事でしょうね。半年後でしたので
大分落ち着いて 家の床下の泥出しに 付いて行きました。匂いが残っていましたけど全国からの若者たちに感心していました。取った後に 炭を入れて EM菌を振り撒きました。本当に 喜ばれました。海苔の会社が 早く復興されて海苔の販売を
させて頂きました。まだまだ何かがあると思うけど  今は  私のお仕事に向かいます。
風の電話  残された人びとの声、切ないですね。