NHKの未解決事件シリーズの「下山事件」を見た後に、

ねこ太(中3)、森達也さんの「下山事件」を読みました。

学校で読んでいたら、

学年主任の先生と美術の先生に

「僕も昔読んだよ」と言われたそう。

そんなに流行ってたのか。この本。

美術は3なんですが、

この本に免じて4にしてもらえないだろうか。

 

 

 

下山事件は、

昭和24年7月5日、

初代国鉄総裁下山定則が日本橋三越で姿を消し、

翌未明、常磐線の線路上で轢断死体となって発見された事件。

 

前日に下山総裁らしき人が

現場をうろうろ歩いていたという目撃証言が多数あったことや、

国鉄職員を10万人削減する立場にあって疲弊していたとのことで、

まずは自殺説で進みます。

しかし記者会見の直前、

なぜかアメリカから

自殺説を否定するよう圧力がかかります。

 

また、新聞記者と東大法医学の研究者の調査で、

轢死する前に死亡していたことや、

現場に血液がほとんどなかったことで、

血を抜かれて殺害されていたのではとの他殺説が浮上します。

 

そうこうしているうちに、

韓国人の李中煥(リ・チュウカン)という人が、

自分はソ連のスパイで、

この事件は、ソ連がやったと証言します。

彼は、詳しい情報を知っていました。

 

しかしそれが新聞記事として出ると、

彼はソ連のスパイではあるが、

アメリカの二重スパイであるから彼の証言は信用ならない

という別の証言者が現れます。

 

捜査は混乱し、

15年経過した後、時効となって捜査は終了します。

 

当時は新聞や週刊誌で次々と憶測や証言が書かれ、

ある程度の年齢の方でしたら、

それなりにご存じでしょうが、

私はこの本を読むまで、

「下山事件」に関する知識はゼロでした。

 

書籍もたくさん出ていて、映画にもなっているのですが、

昔森達也さんのファンだったから読んだまででして、

だから、私はそんなに詳しくはありませんが、

一応記録として書いてみます。

 

 

ある日、森達也さんは、

映画仲間の井筒和幸監督から、

自分の知人が、「祖父が下山事件の実行犯かもしれない」と言っている。

という話を聞き、

関係者だと思われる方を取材しようとするのですが、

事件から50年も経過していたため(取材時)、

取材は難航します。

 

さらに、取材をやめるようにという圧も感じ始めます。

50年を経てもなお、

その圧が残っているというすさまじさ。

 

結局アメリカの諜報機関の仕業だろうという

推測で終わりますが、

NHKの番組を見て、

やはりそうなんだろうと思いました。

 

当時まだ日本はアメリカの支配下にあり、

アメリカは、自分たちの思う通りに日本を動かそうとしていました。

国鉄の職員を10万人削減する案に、

下山総裁が難色を示したことや、

当時アメリカは、

朝鮮戦争を起こそうと考えていたため、

ソ連や中国との戦いに備え、

日本の鉄道を、

アメリカの管理下に置きたいという提案をしますが、

下山総裁は、国鉄が戦争に利用されるのを拒否したため、

殺されてしまったのではという推測です。

(決定的証拠はないわけですが)

 

また、アメリカは韓国人のスパイに、

「ソ連がやったこと」と証言させましたが、

それは、社会主義に傾倒する者が増えていることを懸念し、

社会主義のイメージを悪くする必要があったためで、

自殺説で捜査を終了させるわけにはいかなかったのです。

 

では、

下山総裁の衣服を着た人が

常磐線沿いを歩くという自殺と見せかけるための偽装工作は、

誰がやったのかというと、

アメリカ側の協力者である日本人(陸軍中野学校出身者・右の人)が

行っていたようです。

 

そうこうしているうちに、

時効となってしまいましたが、

それでもなお真相を究明しようとする新聞記者は

家族の命がないという脅しをかけられました。

ひどい時代でした。

 

ちなみに森達也さんの「下山事件」は、

いっぱい頓挫し、取材仲間と仲違いし、

事件と関係のない、

仕事がうまくいかない愚痴の記述がだいぶ長いです。

読後感はかなりもやっとするのですが、

そのもやっは、

森さんの人としての弱さとか優しさが原因で、

人間らしくて私は好きです。

 

NHKの未解決事件では、

脅されていた新聞記者の息子さんがメディアに初登場し、

戦争のために国鉄を管理下に置きたいというアメリカの申し入れを

下山総裁が断っていたという事実を突き止めたところで、

何者かに脅されたという話をお父さんがしていたと証言しました。

 

アメリカの諜報機関に勤めていた人の子孫を訪ね、

「下山総裁は暗殺された」と言う証言を得たり、

当時の警察調書から下山総裁が殺された詳しい状況や、

捜査資料などが紹介されましたが、

結局実行犯は特定されず、モヤモヤが残ったまま。

この事件は、きっとこのまま闇に葬り去られるのでしょう。