80歳まで生きるとして、人生は4000週間しかないと

筆者はいう。

効率を追求してせかせか生きるのはやめよう、

足るを知ろうという話でしょうか

あるいは「承認欲求」なんかくそくらえ、でしょうか

 

結論は現実も今の苦痛も受け入れることが幸せへの道

ということのようです。

 

効率化の罠
短時間でやるべきことをこなそうとすると
そのせいで、やるべきことがどんどん増えていく。
ところが最重要項目は手付かずのまま。

すべてをやれるはず、という意識が強くなると
「何を優先すべきか」という問いに向き合わなく
なるからだ。

必要なのは効率を上げることの逆だ。
あえて「それはやらない」と決めることだ。

自分が体験できる楽しいことは世界の
ほんのちっぽけな一部だけだ、と理解して
いれば、体験していないことがたくさん
あっても焦らずにすむ。

そして自分に許された数少ない体験を
心から楽しめるようになる。
やりたいことを自由に選べるようになる。

「自分の時間は有限だ」という言葉は
ハイデカーの視点でいえば「自分は
限られた時間である」となる。

限られた時間こそが人間の本質だ。
今ここに存在することの驚きと
短さに思いをはせよう。

限りある人生を生きることは、絶え間なく
可能性に別れを告げる過程なのだ。
自分の有限性(自分は死に向かっている)を
直視して初めて、私たちは本当の人生を
生きることができる。

例えば大切な人と過ごす時間。それが
永遠には続かないから特別な価値がある。

そもそも時間が少しでもあることが奇跡なのだ。
不快な出来事でも、それを体験できるという
ことは奇跡的だ。

その経験が快適かどうかよりも、そこにいて
何かを経験しているという事実の方が圧倒的に
重要ではないか。

交通渋滞に巻き込まれるのは生きているからだ。
そのことに気づいたら感謝の気持ちが
あふれてこないか。

存在していることが奇跡、という境地に立てば
何かを選択できるということ自体が奇跡的だと
感じられる。

選ばなかった選択肢を惜しむ必要はない。
そんなものはもともと自分のものでは
なかったのだ。

この真実を理解した人は、何かを断念して、何かを
選んだとき、不思議な爽快感を感じるのだ。
「失う不安」のかわりに「捨てる喜び」を
手に入れることができる。

本当にやりたいことがあるのなら、確実に
それをやり遂げる唯一の方法は今すぐに
それを実行することだ。

重要なことに取り組むとき、私たちは恥をかく

かもとか、力不足が露呈するかも、と不安になる。

 

そんなとき、人は現実から逃避し、気晴らしに

逃げたくなる。

それは自分が主導権を握っているという幻想を

維持するため手段だ。心配性も同様に幻想に

しがみついているだけだ。


すべてをコントロールしたいという欲求を
捨てて、とにかく進んでみるしかない。僕たちに
できることは事実を受け入れ、現実に身を
任せることだけだ。

そんな現実をみたくないから、僕たちはオンラインの
世界に逃げ込んで、ニセモノの万能性を得ようとする。
でも僕たちにできる最善のことは不快感をそのまま
受け入れることだ。
気晴らしに逃げるのではなく、覚悟を決めるのだ。

現実から逃げるのをやめれば、苦痛は和らぐ。

難しいタスクに向き合うとき、完璧に没頭できる状態を
夢見るのではなく、嫌な気持ちをそのまま認めよう。

現実は思うようにならない、ということを
本当に理解したとき、現実のさまざまな制約は
いつのまにか苦にならなくなっているはずだ。

いまの努力が実をむすぶかどうか、という将来への
不安から解放されるための秘訣は「未来は決して
確実ではない」という事実を受け入れることだ。

未来をコントロールしたいという執着を手放そう。
そうすれば不安から解消され、本当に存在する
唯一の瞬間、今を生きることが可能になる。

人生のあらゆる瞬間はある意味「最後の瞬間」だ。
この貴重な瞬間を、いつか先の時点のための
踏み台としてぞんざいに扱うなんて、あまりにも
愚かな行為ではないか。

今を生きるための最善のアプローチは、今を
味わおうと努力したり、集中したりすること
ではない。
今この瞬間を何らかの目的に従わせようとしては
いけない。

そうではなく「自分はいまここにいる」という
事実に気づくことだ。
自分が今この瞬間に絡め取られている事実を
静かに受け入れることかもしれない。

アリストテレスは真の余暇(それは彼にとって
内省と哲学的思索を意味していた)こそが、
あらゆる美徳のなかで最高のものだと論じている。
なぜなら余暇はそれ自体以外に
目的を持たないからだ。

目的志向の僕たちにとって、趣味にいきるのは
何だか居心地が悪い。
純粋な趣味は、生産性や業績を重視する文化に
対する挑戦状だ。

そしてそれほど得意でない趣味の方が、心から
楽しめるのかもしれない。
誰にもほめられない活動をする方が結果を
気にしなくてすむからだ。

サーフィンが趣味の編集者の話
「無益なことを追求する自由。何も気にせず
下手くそなことを楽しむ自由。心が洗われる」

結果はいつでも後からついてくるもので、
後からではいつだって遅すぎるのだ。

だれに認めてもらわなくても、自分はここに
いていい。そう思えたときに、人は本当の意味で
善く生きられる、と筆者は言う。

心の安らぎと解放は、承認を得ることではなく
「たとえ承認を得ても安心など手に入らない」
という現実に屈することから得られる。
(自分がどう生きようとだれも気にかけていない)

「こうあるべき」というプレッシャーから自由に
なれば、今ここにいる自分と向き合うことができる。

幻想にしがみつくことをやめて、現実をしっかり
見つめたとき、そこに現れるのは無力さではなく、
あふれんばかりの活力だ。
 

重要な決断を迫られたら、「この選択は私を大きくする

か小さくするか」と問いかけてみよう。

できるなら快適な衰退より不快な成長をめざしたほうがいい。