副題は「選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」

 

変わったメガネをしている著者の主張は過激ながら

面白い。

 

いまの民主主義=選挙はひじょうに粗いシステムである。

あらゆるデータを収集できるようになったこれからの時代、

データのアルゴリズムによる政治の自動化ができるのではないか、

というのが筆者の主張でしょう。

 

私たちには悪い癖がある。今ある選挙や政治というゲームに

どう参加してどうプレイするのか? そればかり考えがちだ

という癖だ。だが、そう考えた時点で負けが決まっている。

老人たちの手のひらの上でファイティングポーズをとらされて

いるだけだ、ということに気づかなければならない。

 

実直な資本主義的市場競争は、能力や運や資源の格差をさらなる

格差に変換する。このつらさを忘れるために人が引っ張り出して

きた鎮痛剤が、凡人に開かれた民主主義なのだろう。

民主主義の建前めいた美しい理想主義的考え方は、したがって、

凡人たちの嫉妬の正当化ともいえる。

 

民主主義の失われた20年

民主的な国ほど今世紀に入ってから経済が停滞し、非民主陣営は

急成長している。民主国家ほど貿易の成長が鈍り、

企業の投資も伸び悩んでいる。

 

コロナの初期には民主主義的な国ほど命も金も失った。コロナ禍初期に

よく議論された「人命か経済か」という二者択一(トレードオフ)の

議論がおそらく的外れなことを意味する。

 

民主主義の失われた20年がはじまった2000年前後は世界経済を

牛耳ることになる独占ITプラットフォーム企業が勃興した時期と

重なる。中国のWTO加盟もこの時期で、これがアメリカ製造業失墜

の一因という研究がある。

 

そして2008年リーマンショック、2010年アラブの春、2016年ブレ

グジットとトランプ大統領誕生といった出来事の洗礼を浴びながら、

民主国家は一貫して経済面でけいれんし続けてきた。

 

インターネットやSNSの浸透によって民主主義の「劣化」が起きた。

閉鎖的で近視眼的になった民主国家では資本投資や輸出入などの

未来と他者に開かれた経済の主電源が弱ったという構造だ。

 

民主主義の劣化とは何か。政治がウェブとSNSを通じて人々の

声により早く、強く反応しやすくなった。そのことで、

人々を扇動し、分断するような傾向が強まった。

 

超人的な速さと大きさで解決すべき課題が降ってきては爆発する

21世紀の世界では、凡人の日常感覚(=世論)に忖度しなければ

ならない民主主義はズッコケるしかないのかもしれない。

 

あらゆる人がグローバルマスメディアを所有している今では、

あらゆる政治家がポピュリストにならざるをえない。

問題は、情報通信環境が激変したにもかかわらず、選挙の設計と

運用がほとんど変化できていないことだ。生活や価値が分岐する

につれ政策論点も微細化して多様化しているのに、いまだに投票の

対象は政治家・政党でしかない。

政治家は単純明快で極端なキャラをつくるしかなくなっていく。

 

トランプを公然と支持するピーター・ティールについて

筆者はティールの心理を以下のように推測する。民主主義を内側から

破壊する人間爆弾としてのトランプに胸が高鳴るという感覚だ。

 

民主主義は無知で何も創造しない過半数の人々のルサンチマンを

発散する制度に成り下がっている。そんな民主主義を通じて誕生し、

民主主義の醜さを体現する人間爆弾トランプを、民主主義の自壊の象徴

として高く掲げよう。民主主義は破壊されたのではない、

恥辱のあまり崩れ落ちたのだ、と。

 

この感情を建設的な方向に具体化すると、海上自治都市協会の

ような新国家設立運動になる。

 

筆者が提唱する「無意識データ民主主義」

インターネットや監視カメラがとらえる日常の中の言葉や

表情や体反応、ドーパミンやセロトニン、オキシトシンなどの

神経伝達物質やホルモン分泌量…人々の意識と無意識の欲望・意思を

つかむあらゆるデータ源から、様々な政策論点やイシューに対する

人々の意見が漏れ出している。

 

このさまざまな民意データくみ上げチャンネルを融合し折り重ねる

ことで、選挙などの個々のチャンネルが避けがたくはらむ歪みを

打ち消しあう。これまで民意データをくみとるための唯一無二の

チャンネルだった選挙が、数あるチャンネルの一つに格下げされ、

一つのデータ源として相対化される。

 

集めたデータから各論点・イシューについての意思決定を導き出す

のは、自動化・機械化された意思決定アルゴリズムである。

意思決定アルゴリズムのデザインは、民意データに加え、GDP・失業率・

学力達成度・健康寿命・ウェルビーイングといったさまざまな

政策成果指標を組み合わせた目的関数を最適化することで行われる。

 

意思決定アルゴリズムは不眠不休で働け、多数の論点・イシューを

同時並行的に処理できる。だから無意識民主主義なのだ。

何かおかしい場合にそれに異議を唱え拒否する門番が人間の役割となる。

 

民主主義とはデータの変換である。みんなの民意を表す何らかの

データを入力し、社会的意思決定を出力する何らかのルール・装置

である。選挙は驚くくらいざっくりと設計された単純明快な

データ処理装置といえる。

 

投票データは投票者の意思のほんの一部しか反映していない

貧しいデータであることはだれの目にも明らかだ。

そんな欠陥だらけのものを私たちが受け入れているのは、

選挙が数百年前の段階でぎりぎり全国を対象に設計・実行

できたデータ処理装置だったからだろう。

 

私たちにできるのは単一の完全無欠でゆがみのない民意抽出チャンネ

ル・センサーを見つけることではない。ましてや、選挙はそのような

チャンネルではない。私たちにできるのは、むしろ選挙やツイッターや

監視カメラのような個々のチャンネル・センサーへの過度の依存を避け、

無数のチャンネルにちょっとずつ依存することで、特定の方向に

ゆがみすぎるのを避けることだけだ。

 

そのヒントをくれるのが機械学習・人工知能・統計学の伝統だ。

 

入力データXを様々なアルゴリズムで変換してその平均や

アンサンブルをとるように、無意識民主主義も直接は見えない

民意Xを様々なセンサーから読みとってその平均やアンサンブルをとる。

 

無意識データ民主主義

=エピデンスに基づく価値判断+エピデンスに基づく政策立案

 

心配や懸念はわいてくるだろう。アルゴリズムに政治家・政党の

代行ができるわけがない、アルゴリズムが間違いをおかしたら

どうするんだ、と。困ったときはランダムに選択、などもってのほか、と。

 

むしろ間違いを歓迎してもよいのではないか。どの選択が正しいか

わからない私たちに新しい世界の一面を見せてくれるかもしれない

から。アルゴリズムと偶然による自動化された民主主義は、無謬主義と

責任追及で閉塞した社会に逃げ道をもたらしてくれるかもしれない。

 

そして時にランダムな選択は、どんな選択がより良い成果をもたらす

のかを教えてくれる社会実験となり、未来の無意識民主主義に貢献する

データをつくりだしてくれる。

 

大きな限界が二つある。自動価値判断とアルゴリズムの透明性だ。

第一にエビデンスに基づく価値判断が欠けている。現時点では、

価値判断はアルゴリズムを使う人間にゆだねられている。

 

アルゴリズムが民主主義的手続きを体現するためにはアルゴリズムの

公開が必要だ。だが、どうすれば私企業も開発にかかわるアルゴリズムを

公開させられるか。ここにもう一つの未解決問題がある。

 

無意識民主主義は大衆の民意による意思決定(選挙民主主義)、

少数のエリート選民による意思決定(知的専制主義)、

情報・データによる意思決定(客観的最適化)の融合だ。