副題はアメリカ全土を中毒の渦に突き落とす、

悪魔の処方箋

 

アメリカの多くの若者を「麻薬付け」にした

オピオイド(麻薬性鎮痛薬)の顛末を明らかにした本

 

アメリカで鎮痛剤が麻薬としてはやり、たくさんの人が

依存症になったという程度の知識しかなかった者にとっては

衝撃の内容です。

 

あまり有名ではない製薬会社が意図的に実質的な麻薬を

つくったことに驚き

 

被害状況が報告されていたのに、かなりの期間放置された

ことに驚き

 

この製薬会社のオーナー一族が美術館、博物館の大口寄付者

だったことに驚き

 

検察があと一歩まで追い詰めながら、政治判断? 

で司法取引になったことに驚き

 

検察が集めた証拠が10年後に明らかになり、その重さに驚き

 

一段落したはずの最近でも薬物の過剰摂取死が増え続けて

いることに驚き

 

サックラー家

アーサー・M・サックラー

医薬品マーケティングを専門とする広告代理店大手、ウィリアム・

ダグラス・マクアダムス代表。精神科医でもある。

製薬会社のコンサルタントで、学術誌を支配下におさめ、出版物に

無料で記事(実質は広告)を書き、薬の販売を促進した。

現代の医薬品広告業界の生みの親。

 

弟(レイモンドとモーティマー)とともにメトロポリタン美術館の

「サックラー・ウイング」の建設に出資するなど、世界中の博物館に

寄付し、「サックラー」の名を冠したものをつくっていった。

 

自分も製薬の利益に預かろうと1952年に製薬会社パーデュー・

フレデリックを買収した。広告主である製薬会社と競合するわけには

いかなかったので、弟のモーティマーとレイモンドに運営させた。

1987年没。追悼式はメトロポリタン美術館のディンドール神殿で

行われた。死後、一族の相続争いによって巨万の富の中身が

明らかになっていったという。

 

1996年、コネチカット州にある無名の会社、パーデュー・

ファーマが「オキシコンチン」を発売

これは医師が「麻薬」と呼ぶものだったが、闇のイメージから

遠ざけるために、同社は「オピオイド(麻薬性鎮痛薬)」という言葉をつくった。

サックラー家が所有する同社は数十億ドルの利益を手にすることになる。

 

従来の市販の鎮痛薬(アスピリン、アセトアミノフェン)では、

一錠(500ミリグラム)あたり5ミリグラムの麻薬=

オキシコドン=が混ぜ込んであるのが普通だった。それでも

薬物乱用者は存在した。

オキシコンチンは最も低用量でもその倍の10ミリグラム含まれていた。

さらに20、40、80、160ミリグラムのオキシコドンを含む

錠剤もあった。武器にたとえるなら核兵器級だった。

 

パーデュー社は特許を持つ徐放剤の製造法をつかって大量のオキシコ

ドンを錠剤につめこんだ。徐放剤はゆっくりと体内に放出される特徴が

ある(コンチンのcontinは「継続的」を意味するcontinueの略)から、

同社は手っ取り早いハイを求める麻薬常習者には魅力がないと主張した。

 

しかし、実際には、錠剤は水か唾液で柔らかくして砕けば高用量の

麻薬が一気に放出される、というやり方がすぐに出回っていた。

 

パーデュー社は、体の痛みに苦しんでいる人を助ける薬として大宣伝を

うつ。これまでの疼痛治療の不十分さを強調する「調査」結果をばらまき、

研究者を援助して疼痛治療の必要性を訴える疼痛管理ムーブメントを

起こしていった。この薬は爆発的に売れていく。

 

2000年末、批判が盛り上がる中、パーデュー社はすべての販売員に

対し、オキシコンチンの乱用について率直につたえることが

「必要不可欠」との旨を通達した。

 

2001年、食品医薬品局(FDA)と協議開始。

2001年7月、「オキシコンチンは徐放剤のため、従来型の鎮痛薬に

比べて乱用の危険性が低い」という記述を削除し、新しいラベルには

「オキシコドンは合法・非合法にかかわらず、ほかのオピオイド受容体

作動薬と同様に乱用される可能性があります」と記述した。

パーデュー社は自身の販売戦略の非を認めず、追求をかわす。

 

2002年、元ニューヨーク市長のジュリアーニのコンサル会社、

ジュリアーニ・パートナーズがパーデュー社の顧問となる。前立腺がん

から回復したジュリアーニは「何千万人ものアメリカ国民が持続性の

疼痛に苦しんでいるのです」と援護した。

 

2006年9月、連邦検事補のマウントキャッスルとラムザイヤーの

4年をかけた捜査が終了。彼らは、パーデュー社はオキシコンチンが

乱用と依存症につながる可能性を偽って伝えるよう販売員を教育する

という犯罪をしたと確信、国家に対する詐欺罪を含む重罪で起訴する

ことを提言した。

 

しかし、ブッシュ政権に任命された者を含む高位の司法省職員たちは、

違った。パーデュー社幹部は重罪に問われることはなく、

司法取引で決着することになる。

 

2007年、パーデュー社と最高幹部3人が刑事責任を認め、司法取引が

成立した。パーデュー社は企業として「虚偽表示」という重罪を認め、

オキシコンチンは従来の鎮痛薬より乱用されたり依存症になったり

する可能性は低いという、人を欺く宣伝をしたことは認める、という

内容だった。

 

企業としての罪を認める一方、幹部の3人は軽罪としての

「虚偽表示」罪のみを認めた。6億ドルによって訴訟は示談となった。

 

つまり、パーデュー社の罪は幹部の言うことを聞かずに虚偽の

宣伝をした販売員がいたことであり、幹部はその犠牲者だった、

と解釈できる。

 

訴訟の示談を受けて、司法省は同社がオキシコンチンの乱用実態を

最初に知ったのはいつでどう対処したかについて、自らの捜査員が

集めた重要証拠を機密扱いにした。

(10年後に明らかになる。はっきり言って手遅れだった)

 

2016年、アメリカでは64000人が薬物の過剰摂取で死んだ。

 

2018年、オキシコンチンの売り上げが減ったパーデュー社は

販売員を200人削減する経費節減策を公表した。

これが10年前に起こればよかった。10年前、連邦政府はパーデュー社を

絶体絶命の立場に追い詰めていたのに、司法省は尻込みし、

オピオイドの蔓延に歯止めをかける機会を失った。

 

2019年に写真家らのデモが起き、サックラー一族のカネを受け取って

いた美術館に対し、金を受け取ることをやめて名称からサックラーの

名を排除する運動が始まった。ほかのアーティストも追随し、

メトロポリタン、ルーブル、大英博物館など主要美術館が一族との

関係を断ったという。サックラー家からの寄付をうけてその名を

冠した医大のいくつかも追随した。

 

米国での薬物の過剰摂取死は増え続け、2021年には10万人を

超えている。オピオイド危機はアメリカの日常となっている。

 

2021年に数々の訴訟を受けて、パーデュー・ファーマは

倒産保護を申請済みだった。

創業者モーティマーとレイモンド・サックラ―の子孫たちは、

将来的な訴訟から保護されることと引き換えにおよそ60億ドル

支払うことに同意した。

個人が破産宣告することなしに、法的責任から身を守るために

破産制度を利用するという異例のやり方で、法廷での裁きをさけた。

 

このころにあきらかになった内部書類

1996年のオキシコンチン新発売記念パーティーで最高幹部の

リチャード・サックラ―(レイモンドの息子)が「雪崩のような

処方箋が発行され、競合製品を埋め尽くすだろう」と宣言した。

 

パーデュー社は1996年までに麻薬常習者が、徐放性製剤である

MSコンチンの錠剤からモルヒネを抽出して注射するという方法を

発見していたことを知っていた。MSコンチンはオキシコンチンの

前身にあたる薬で、パーデュー・フレデリックが1984年に発売した。

もとは買収したスコットランドの会社、

ナップ・ファーマシュティーガルズが1980年にMSTとして

1980年発売していた。

 

1997年の時点でオキシコンチンの乱用が広がっているという報告が

医療従事者やマスコミからパーデュー社に届いていた。

1999年には乱用の報告が大量に会社に届いていた。

(パーデュー社の幹部が乱用のことを知ったのは2000年

というは嘘という証拠がたくさんあった)

 

近年の研究によって明らかになっていること

オピオイドの長期的使用は医師の指示通り摂取してもさまざまな

リスクを患者に負わせる

(感情的な依存、性欲の低下、極度の倦怠感、高齢者の転倒、

痛覚感受性の高まり)

痛覚感受性の高まりとは、投与を続けた患者は痛いのに鈍感になる

どころか逆に鋭敏になり、より高用量のオピオイドを必要とする

ようになったということ。

 

疼痛患者はオピオイド以外の治療を受けたほうが早く回復し、

合併症も少ない

 

結局、オキシコンチンにはいいところは一つもなくて、

悪いことしかないようです。ひどい話です。