副題は「スポーツに学ぶ 最強のリーダー」

英文は「The Captain Class The Hidden Force 

That Creates the World’s Greatest Teams

 Sam Walker」

 

ウォール・ストリート・ジャーナルの敏腕ジャーナリストが

過去のスポーツチームの中から特別な強さで一時代を築いた

16チームを希代のスポーツ王朝、『ティア1』として厳選し、

そこに共通点を見つけたという話。

 

結論はスポーツに限らないと前置きした後、「歴史に残る

偉大さに到達し、それを維持するチームで何より決定的な

要素とは、そのチームを率いるプレーヤーの人格である」だ。

 

化学反応(ケミストリー)の裏にある基本的な考えは、

チームの個人の力学がパフォーマンスに影響を及ぼすということだ。

よい化学反応のあるチームでは、メンバーがたがいを家族と

みなして深い忠誠心をいだき、それが試合で好結果をもたらす。

 

1960年代にグリーンベイ・パッカーズを5度のNFLタイトルに

導いたヴィンス・ロンバルディはかつて「集団の活動にひとりひとり

が献身的に取り組むことこそが、チームを動かし、会社を動かし、

社会を動かし、文明を動かすのだ」と言った。

 

NBAボストン・セルティックス(1956~69)

チームの黄金期と自身のキャリアがぴったり重なる選手が

2人いた。そのうちの1人がビル・ラッセル。

それまで優勝したことのなかったセルティックのすべてが

かわったのが1957年のファイナル第7戦だ。終了間際の

大ピンチで、新人のラッセルが相手のコールマンのシュートを

ブロック、この「コールマンプレー」は伝説となり、NBA

初制覇を果たした。

 

それから12年、11度目の優勝のあとにラッセルが引退すると、

チームはたちまち衰退した。

 

ラッセルは63年にキャプテンに指名され、3年後には

選手兼任監督となった。

 

筆者が選定した『ティア1』の16チームと代表的なリーダー

シド・コヴェントリー(オーストラリアンフットボールの

コリングウッド・マグパイズ=1927~30)

ヨギ・ベラ(NYヤンキース=1949~53)、フェレンツ・プシュカシュ

(サッカー・ハンガリー代表=1950~55)、モーリス・リシャール

(モントリオール・カナディアンズ=1955~60)、ビル・ラッセル

(ボストン・セルティックス=1956~69)、イウデラウド・ベリーニ

(サッカーブラジル代表=1958~62)

ジャック・ランバート(ピッツバーグ・スティーラーズ=1974~80)

ヴァレリー・ヴァシリエフ(アイスホッケー・ソ連代表=1980~84)

ウェイン・シェルフォード(オールブラックス=1986~90

ミレヤ・ルイス(バレーボール女子キューバ代表=1991~2000)

、レシェル・ホークス(フィールドホッケー女子オーストラリア

代表=1993~2000)、カーラ・オーヴァーベック(サッカー女子

米国代表=1996~99)、ティム・ダンカン(サンアントニオ・スパーズ

=1997~2016)、カルレス・プジョル(FCバルセロナ=2008~13)、

ジェローム・フェルナンデス(ハンドボール・フランス代表=2008~15)、

リッチー・マコー(オールブラックス=2011~15)

 

※ちなみに読売ジャイアンツは「実力を証明する充分な機会に恵ま

れなかった、別の競合するリーグのチャンピオンとの対戦が認められ

なかった」に分類され、ニグロ・リーグのチームとともにティア1に

は選ばれなかった。NHLのオイラーズやアイランダーズなどは5連覇

を達成できなかったとして、除外された。

 

筆者が見出した規則性

『ティア1』の成績が特定の選手の離脱・加入に対応している

チームはセルティックだけではなく、すべてのチームがそうであり、

しかもその選手はキャプテンであるか、いずれキャプテンになる

という不気味な規則性があった。

 

ファーガソンの指摘(2015年の著書)

フィールド上では、責任をもって11人の選手をチームとして機能

させる人物はクラブの主将だった。形式的な地位だと思う人も

いるだろうが、決してそうではない。つまり、責任をもって

組織の実施計画を達成させる人物である。

 

キャプテンの器とは

ラッセルは攻撃の中心であるセンターだったのに、セルティックス

内で得点1位になったことがない、異色の存在だった。ラッセルが

際立っていたのはボールを持たないプレーに専念するところだった。

最新の指標にてらすと、ラッセルの「守備による勝利貢献度」

はNBA史上最高だった。

 

またラッセルはファンに不愛想で「ファンのためにプレーした

ことはない」と言い放った。NBAの規則を無視してやぎひげをはやし、

殿堂入りが決まっても「個人的な理由で殿堂入りしたくない」

と声明をだした。つまりリーダー気質の魅力的な男ではなかった。

 

ラッセルに代表されるように、ティア1の主将をつとめていた男女は、

一般に考えられる理想のキャプテン像といったような基準を、

一見したところ満たしていない。

 

オールブラックスのシェルフォードはフランス戦(1987年W杯の

6カ月前の試合)で相手に股間をスパイクされ、陰嚢がさけた。

マコーは足を骨折しながら2011W杯に出た。バレーのルイスは

娘を出産した4日後に練習に参加し、14日後の世界選手権に出た。

 

狂気じみた行動を見せたこともある彼らキャプテンたちは典型的な

リーダー像には一致しない。筆者はキャプテンこそがチームの

強さの秘密成分である、という仮説を疑う要素として8点を挙げて、

反証を試みる。

 

➀スーパースターの素質に欠けていた(彼らの大半はチームのベスト

プレーヤーではなく、目立ったスター選手でもなかった。一時期ベンチを

温めた者もいた)

➁スポットライトを好まなかった(彼らはいざ注目を集めると居心地が

悪そうだった。フィールド外ではたいていもの静かで、メディア向けの

イベントに出席したがらなかった)

➂従来の意味では“リード”しなかった(チームでは補佐的な役割を

果たし、スター選手たちに従い、得点については周りのタレントに

大きく頼っていた)

➃天使ではなかった(このキャプテンたちは反則すれすれのプレーをし、

スポーツマンらしからぬ行為を働き、チームの勝算を崩しかねない

行動に出ることがあった)

⑤分裂を生みかねないことをした(いろいろな場面で彼らは監督の

命令を無視し、チームのルールや戦略に従わず、インタビューで

遠慮なく監督や競技の重鎮を非難した)

⑥常連の候補者ではなかった(マイケル・ジョーダン、ロイ・キーン、

デレク・ジーターはこの中にいない)

⑦この説を口にした者はいなかった(筆者のさまざまなインタビューの

中でチームの推進力にキャプテンを挙げる人はいなかった)

⑧キャプテンはいちばんのリーダーではない(キャプテンよりも

監督やチームのオーナーなど経営幹部が序列の上にいる)

 

GOAT(グレーテスト・オブ・オール・タイム)は必須でない

史上最高レベルの選手=GOAT(バスケットならレブロン・ジェームズ、

ウィルト・チェンバレン、マイケル・ジョーダン、ステフィン・カリー)

のような選手が黄金時代のセルティックスにはいなかったし、

ほかの選手レーティングをみても、セルティックスには上位に入る

エリート選手がいなかった。

 

筆者によると、ティア1でキャプテンを務めたGOAT候補者は

2人だけだった(おそらくリシャールとプシュカシュ)。

史上最高チームのヒエラルキーでは、選手のリーダーは大黒柱の

スーパースターではなかった。チームにGOATがいても、リーダーに

は選ばれなかったことが多い。一流になる可能性が高いのは影から

引っ張るキャプテンのいるチームらしい。

 

よく似ているティア1のキャプテン

ラッセルは殿堂入り式典を拒否した理由をNYTのインタビューで、

自分のバスケットボール人生はチームプレーの証しとして記憶に

刻まれるべきだと思うからだ、と語った。ラッセルをはじめ、

ティア1のキャプテンたちは我々が思い描く完璧なリーダーとは違うが、

非常によく似ている。行動、信念、仕事への取り組み方が、気味悪い

ほどそっくりだった。衝動的で、向こう見ずで、自滅的とされる彼らの

行動には、実はチームを強化する意図があったのだ。一風かわった、

不適格ともとれる彼らの個性は、有害どころか、チームメートが

フィールドで実力を発揮するのに役立っていた。

 

ティア1のキャプテンの7つの共通点

➀試合中の並外れた粘り強さと集中力

➁ルールの限界に挑む攻撃的プレー

➂裏方の報われない仕事に進んで取り組む姿勢

➃控えめで実践的かつ民主的なコミュニケーション方法

⑤言葉ではなく熱意を見せて他者を動かす

⑥確固たる信念と孤立する勇気⑦完璧な感情のコントロール

 

プジョル

2000年のレアル・マドリード戦、バルサから出た裏切り者の

フィーゴをマンマークして名を挙げた。センターバックにしては

背が低いし、とりたててボール扱いがうまいわけではなく、

1年前、前監督のファンハールによってマラガへ売られる契約に

なっていた控え選手がこの1戦(激しいタックルで警告も受けた

)でチームを2-0の勝利に導いた。

 

何度もケガを負ったプジョルは筆者にこう答えた。「いつだって

全部だしきらなきゃいけないと感じていた。いつだってそうだった。

それが僕なりのフットボールへの敬意の払い方、チームメートへの

敬意の払い方だった」。大差をつけた試合でも、プジョルは

チャンピオンズリーグの決勝のように走り回っていた。

「もしみんなが100%出し切っていて、ひとりだけ80%しか

出していなかったら見ればわかる。だからだれもが100%出そう

とするんじゃないかな」

 

リシャールは1952年、ボストンとのファイナルで脳震盪をおこし

額に傷を負って退場した後、傷口を絆創膏でふさいで3人抜きの

ゴールを決めた。彼らは並外れた決意の持ち主であり、彼らが

見せた独特の粘り強さは一流選手の中でも異彩を放つ。

カージナルスのトライアウトに落ちた経験のある捕手、ベラや

プジョルの例が示すように、彼らが持って生まれた能力は、

どうやら成し遂げた功績の大きさに何の関係もなかった。

自分の限界を忘れ、つねに全力を出し切る姿勢はティア1の

キャプテンに共通する特徴だった。

 

心理学者のキャロル・ドゥエックの研究

難しい問題を課せられるとあきらめてしまう子供と、解き続け

ようとする子供がいる。あきらめる子どもは自分の能力が足り

ないと考えた。解き続ける子はまだ正しい答えを見つけていない

だけだと考えた。彼らの違いは能力そのものではなく、

能力に対する考え方にある。自分の技量は生まれながらに

かわらないと考えるか、頑張れば伸びると考えるか。

 

人間性に関する不可解な法則の一つに、人は課題に直面したとき、

ほかの人と力を合わせるよりも、ひとりのときの方が懸命に

取り組むというものがあり、この現象は「社会的手抜き」と呼ばれる。

ただしこれには対抗手段があり、持てる力をまちがいなく出し

切っている人物ひとりがいればいい。

 

1961年、ピッツバーグ大学の心理学者アーノルド・バスは

人はまったく異なる二種類の攻撃性を表に出すと結論付けた。

ひとつは怒りや失望によって引き起こされる「敵意的」攻撃で、

人が傷ついたり罰せられたりするのを見ることを動機としている。

もうひとつが「道具的」攻撃で、危害を加えたいという願望ではなく、

やりがいのある目標を達成する決意が動機となる。

アトランタ五輪準決勝でブラジル選手に罵声を浴びせるよう

指示したルイスや、汚い反則やルールの限界をためすプレーを

繰り返したマコーの行動は物議をかもした一方、「道具的」なものだった。

 

彼らは勝つために卑怯なまねをすることもあった。つねにスポーツ

マンらしくふるまうことが偉大となるための必須条件とは思って

いなかった。彼らは自分がどう見られるかを気にせず、

ありとあらゆる手段を用いてチームを引っ張った。

模範的なリーダーとして世界的な評価を得ているデレク・ジーター

のようにふるまうことは間違っていると考えていた。

 

1986年カリフォルニア大学バークリー校の

ブレンダ・ジョー・ブリードマイヤーとデイヴィッド・シールズの

結論は以下だ。競技中のアスリートは「試合枠」のなかにいて、

外の世界とはちがう行動規範の採用を認める「試合論理」を働かせ

ている。この現象を「括弧つきの倫理観」と名付けた。

ここから示唆されるのは、アスリートはフィールドにでると

並行宇宙に入るということだ。そこでは異なる境界線が引かれていて、

一般的に道徳的だとされる行動が正しい動きとはかぎらない。

ひとたび「試合枠」に入った者は、自分の行動を別の基準で

判断するのだ。

 

ティア1のキャプテンの多くは名声という虚飾に興味がなかった。

世間の考えとは裏腹に、他人のためにこつこつ働く水運び人

こそが強力なキャプテンになれる。

 

ティム・ダンカンはメディアに不愛想だったことから、

「スポーツ史上もっとも退屈なスーパースター」とあるコラム

ニストに評された。彼は現役時代を通してポジションをかえ、

チームの構成にあわせてCFとPFをいったりきたりした。

柔軟な選手だった。オフェンスの数字で規格外だったことも、

守備で目立ったこともある。コート外では、チームがサラリー

キャップ内で優秀な選手を獲得できるように2015年に

2年1040万ドルと史上より恐ろしく低い額で契約した。

 

マネジメントの大きな矛盾点に、誰よりも熱心にリーダーの

地位を追い求める人はリーダーに向いていない、というものがある。

そういう人たちの動機は、組織の目標や価値を高めたいという

願いではなく、その役割についてくる名声だ。

 

オーヴァーベックがいたころのサッカー米国女子代表は

ミア・ハムらを擁したタレント集団だった。平均的なDFだった

オーヴァーベックはなるべく球離れをよくすることで、

ボールが優秀な選手の足元にある時間を増やした。

移動でホテルに到着すれば、彼女は全員のバッグを部屋に運ぶ。

「キャプテンではあるけれど、ほかのみんなより優れている

わけじゃない。優れたサッカー選手じゃないのは確かだから」

と彼女は言った。

 

チーム内の衝突には、憎しみや憎悪で生じる「パーソナル・

コンフリクト」、問題を解決する手段としてチーム内の議論から

生じる「タスク・コンフリクト」がある。有害なパーソナルに対し、

一流の主将たちがかかわっていたのはタスクの方だった。

彼らが大切なものを壊したとしたら、それはチームメートを

経営陣から守るため、あるいはチームの悪いところを指摘する

ための勇気ある行為だった。

(本ではチームの問題を南ドイツ新聞とのインタビューで

訴えたバイエルンのラームが例として挙げられている)

 

マイケル・ジョーダン

ジョーダンの殿堂入り式典スピーチは評判が悪かった。高校2年の

とき一軍に昇格させてくれなかったコーチらを批判した。

彼を軽視したNBAの元プレーヤーや監督、幹部たちに対する

不平不満の目録となった。ここで明らかになったのは、

彼がいかにキャリアを通して、自分が拒絶された物語を

ひとつひとつ時間をかけて育てたかだ。

 

その怒りは手の込んだつくりごとだった。最高のプレーを

するために、彼は自分が軽視されていると感じなければならず、

そうすれば自分に火がつき、疑い深い者たちが間違っていると

証明しようという気になるのだ。彼は言った「一定のレベルで

プレーする集中力を維持するためには、自分をだまさなければ

ならなかった」

 

負の感情に肥料を与え続けるジョーダンのやり方の問題点は、

試合が終わっても、彼の感情の欲求が消えなかったことだ。

彼はほかの試合、ほかの挑戦を見つけに行った。NBA3連覇の

のち、全盛期にバスケットをやめた理由は彼に異議を唱える

勇気ある者がもういなくなったからだ。

 

キャプテンとしてのジョーダンはチームメートをいじめたり

けなしたりすることで統率し、チームメートは彼の毒舌に

いつもびくびくしていた。彼は称賛されるにふさわしい人物だが、

リーダーとしても一流だったわけではない。ジョーダンと

ロイ・キーンは偽の偶像だった。

 

筆者は最近のスポーツ界は市場価値のあるプレーヤーに

キャプテンの称号を与える傾向がある(つまりキャプテンの役割が

軽視されている)と嘆く。その最たる例が2016年、当時19歳と

266日だったコナー・マクデービッドをキャプテンにした

エドモントン・オイラーズだと。(筆者が)静かで、地味で、

チーム主義で、職人のようなキャプテンたちの存在がいかに

重要かについて証拠を固めようとしているまさにそのとき、

世界でもっとも裕福なスポーツ団体のほとんどが、きわめて

進歩的な企業が、その逆方向にまっしぐらにはしっていく

ようだった、と。

 

ハーバード大の社会・組織心理学者、故リチャード・ハックマンの理論

➀有能なリーダーは物事を知っている(チームがどうあるべきか

ビジョンを育んでいる)

➁有能なリーダーはやり方を知っている

(チームを成功に近づけるためにどうすべきか知っている)

➂有能なリーダーは感情的に成熟している

(不安から逃げずに不安に飛び込んで打開策をみつける)

➃有能なリーダーには勇気が必要だ

(集団的総意の中心ではなくメンバーが現在好きなこと、

望んでいることの周縁で活動しなければならない。

孤立する勇気を持たないといけない)

 

ハックマンは個人の性格、価値観、才能には一切触れていない。

すぐれたリーダーのいちばん重要な特性はどんな人間か

ではなく、日常的に何をするかだ。

 

スタンフォード大ビジネススクールの社会心理学者、

デボラ・クルーエンフェルド

現実には多くの場合、人々は自身の資格を控えめに見せる

ことで組織内の権力を手に入れ、保持すると彼女はいう。

私たちは、実際より地位にやや見合わないように振る

舞うことで、その地位をもっとたやすく、もっと確実に得るのです。

 

ティア1のキャプテンたちのほとんどは補助的な役割を選び、

チームメートを下から支えた。彼らはキャプテンらしからぬ

行動を全力で示すことで、その地位を手に入れた。

リーダーの役割とは、称賛も自身の満足感や幸せもチームの

ために後回しにできる、謙虚さと不屈の精神を持っているから

担うものだ。

 

偉大なリーダーには、成功に近づくためなら、それが不人気だ

ろうと、物議をかもそうと、非常識だろうと、まったく人目に

つかないことだろうと、どんなことでもする覚悟がある。

リーダーはほかの何よりも、適切な行動をすることに全力を

傾けねばならない。