副題は「祭りの後に何が残るか」

 

著者の岡田功氏(大阪成蹊大学)は元新聞記者らしく、

2016年から18年に過去の五輪スタジアムを見て回って

リポートしている。大リーグの球場となったアトランタは

成功例とされていたが、実はそうでもないこと、

失敗例とされたモントリオールが新たな道を探っていること

など、おもしろい話がいろいろあった。

 

筆者は厳しいが、ブレーブスに逃げられたアトランタは、

スタジアムを大学に売ることでまったく損はしていない。

もっともうけられたはずではあるが、そういう意味では

最悪ではない。それにくらべて東京は……。

 

1972ミュンヘン

 

五輪後はバイエルンと1860ミュンヘンが核テナントとなって

いたが、2005年に2006年W杯のためにアリアンツ・アレーナが

建設され、五輪スタジアムはテナントを失った。

 

収入は大きく減ったが、実は収支はほとんど悪化していないという。

理由はアリアンツ・アレーナと「特別な契約」を結んですみわけ

ているから。サッカー専用のアリアンツはサッカーの試合のみを

行う、という約束になっていて、五輪スタジアムはマラソンや

ラグビーのイベントを奪われることはないし、大規模コンサートも

確実に開催できる。

 

周囲200キロ圏内にライバルはおらず、大小100(コンサートは

年4回程度)のイベントを開催しているという。

ほかにスタジアムの屋根を歩くなど体験型ツアーを工夫して

収入をえているという。

 

五輪公園(300ヘクタール)は市民の憩いの場となっている。

第二次大戦中は軍用飛行場だった場所を平和の象徴へと

変貌させた。歴史的遺産を保護する観点からスタジアムの

デザインの変更は許されておらず、命名権の売却も考えて

いないという。

 

1976モントリオール

 

五輪後、空っぽだったスタジアムの展望塔を大規模工事中

(2016年)で中に大手金融機関デジャルダン・グループの

オフィスが入るという。リース契約は15年(3700万カナダドル=

30億円)という。

 

1984ロサンゼルス

 

メモリアル・コロシアムは五輪のためにできたのではない。

1923年にUSC(南カリフォルニア大)のボバード理事長らの

尽力でアメフトスタジアムとして開場した。

 

以来、USCのアメフトチーム「トロ―ジャンズ」、

UCLA「ブルーインズ」が本拠地とし、MLBのドジャースや

NFLのラムズ、レイダースも一時本拠を置いた

(ラムズは2016年から3年間も、暫定的に本拠地を置く予定)。

 

ロサンゼルス市、カリフォルニア州、ロサンゼルス郡の

共同事業体に代わり、2013年に救世主となったのがUSCで、

運営権を譲り受けた(運営が官から民になった)。

 

大学は無償でスタジアムの独占使用権を得る一方、多額の

投資を約束したという。さらに運営で利益がでた場合は

再投資にまわすことも約束しているという。

 

原資は命名権の売却などで命名権は2018年、ユナイテッ

ド航空に6900万ドル(74億円)で販売したという。

 

USCが引き受けた理由は➀トロ―ジャンズとの歴史的な

つながり➁五輪レガシー、だという。

五輪のレガシーをまもる使命感とともに、24年五輪招致に

よる勝算も見据えている。

 

1996アトランタ

 

開会式と陸上を行った五輪スタジアムは大会後、野球場となり

アトランタ・ブレーブスの本拠地ターナー・フィールドとなった。

用意周到なプランが練られていたから工期はわずか7カ月だった。

完全民営の五輪だったから、五輪のおかげで民間資金だけで

野球場ができ、アトランタ市とフルトン郡は無償で寄贈を受けた。

 

しかし、2013年、ブレーブスはアトランタ市などと結んでいた

リース契約(1997年から2016年)の延長を拒否し、アトラン

タ近郊のコブ郡に新球場を建設して移転すると発表した。

 

ターナー・フィールドはジョージア州立大に3000万ドル

(32億円)という安値で一帯の土地ごと売却されることが

決まりアメフト場になるという。「早期に五輪レガシーが

完全に失われた世界でも例のないスタジアム」となった。

 

ブレーブスが逃げた理由は市の非協力的な姿勢にある。

球場に投資して改修してきたブレーブスは契約更新にあたり、

市の投資を求めたが断られた。さらに隣接する駐車場の再開発を

見据えて駐車場を買い取る提案をしても市はまともに取り合わ

なかったという。さらに市はアクセスの改善もしようとしなか

ったという。一方で市はNFLのファルコンズのメルセデス・ベン

ツスタジアムには公費を支出していたという。

 

新球場サントラスト・パークは2017年に完成した。建設費

6億7200万ドルのうち6割をコブ郡、4割をブレーブスが負担した。

また「バッテリー・アトランタ」と名付けられた街をブレーブスが

まるごとつくりあげ、投資額5億5800万ドルのほとんどを

ブレーブスが負担したという。ブレーブスが得た命名権収入は

25年総額2億5000万ドルとされる。

 

2000シドニー

 

産業用廃棄物などの処理場となっていて水質・土壌汚染の

激しかった場所を五輪公園にした(640ヘクタール)。

五輪スタジアムは民営だったがうまくいっていたわけではない。

 

計画が甘かったことと、近隣にライバルがあったため苦戦が

続いたが、2003年ラグビーW杯のおかげで州政府から支援を

引き出し、陸上トラックの撤去、仮設席の撤去、可動席の設置

などがようやく実現。本拠地としてプレーするクラブがあらわれた。

 

経営危機を脱したのは2000年代後半。2008年にANZに

7年総額3150万豪ドル(23億円)で命名権を売却する救済策が

とられた。ラグビーやサッカーの代表戦も行われ、集客は好調という。

 

ライバルが多いうえ、ピッチと席が遠い構造からじり貧とみられ

る中、2016年7月、ニューサウスウェールズ州が所有・運営権を

買い戻した。もともとは2031年に所有権を返還することになって

いたが、15年も前倒しした。

 

これにより、シドニー近郊の大型スタジアムはすべて同州の

所有となった。理由は将来、手放すことが決まっている民に

さらなる投資が望めないこと。州がはやめに投資して手を

うち(球技専用も視野)、ほかのスタジアムとのネットワーク

効果も創出する計画だという。

 

もともと、五輪招致する前の2010年に「マスタープラン2030」

という計画を策定していた。五輪公園をスポーツだけでなく、

商業、住宅、教育の中心地とするコンセプトで、シドニーの

発展に貢献する地域とするというもの。「五輪施設を核にした

都市の再開発という理念は2012年のロンドンにも受け継がれた。

アトランタやアテネで起こったこととは正反対だ」と自負して

いるという。

 

2008北京

 

もともとは五輪スタジアムの命名権を売り、鳥の巣の中に

ホテルとショッピングモールを建設する予定だった。

しかし、五輪の成功をうけて風向きがかわり、国のシンボル

に祭り上げられた結果、命名権を売るなどして

「普通のスタジアム」になることが許されなくなったという。

 

国家のイメージと直結する「聖地」となったため、

大イベントしか開催できなくなり、共同事業体はスタジアム

開業からわずか1年で運営権の返上に踏み切ったという。

一大観光地として大勢の人を呼んではいるが…。

 

2012ロンドン

 

2002年コモンウェルスゲームズの主会場は、大会後に

マンチェスター市とマンCが折半出資して改修しマンCの

本拠「エティハド・スタジアム」となった。

ロンドン五輪も当初、大会後にサッカークラブの本拠地に、

という案もあったが投票の結果、「陸上トラックを残し、

プレミアリーグのクラブは誘致しない」と決めた。

 

しかし、五輪開幕が迫ると「このままで有効利用できるの

か」という議論が巻き起こり、ボリス・ジョンソン市長の

意向により、陸上連盟に加えてウエストハムの本拠地にも

なった。

 

4億3000万ポンド(600億円)の建設費に対し、

可動式の座席を設ける改修費は3億2300万ポンド

(450億円)にのぼったという。ロンドンの計画は総じて

うまくいったものの、このスタジアムの改修をめぐる動きは

「唯一の失敗」ともいわれている。

 

可動式座席の収納・展開にかかる費用はスタジアム所有会

社(ロンドン・レガシー開発公社=LLDC)負担で毎シーズ

ン最大800万ポンド(11億円)。ウエストハムの年間リース料

250万ポンドをはるかに上回る。しかも、収納・展開の作業は

24時間ぶっ通しでも15日間かかるという。ちなみに英陸上競技

連盟は6月末から7月にかけて使用できる契約という。

 

2016リオデジャネイロ

 

開閉会式を行ったマラカナンスタジアムはサッカーの聖地

でもあるが、栄光の姿は今は跡形もない。

 

緑の芝生はミミズに荒らされて凹凸にはげ、窓やドアは粉々に

打ち砕かれている。客席の1割は盗人に持ち去られ、高価な

備品の数々も掠奪された。電気料金300万レアル(8000万円)

が未払いのため、2017年1月には給電も打ち切られた。

 

陸上競技場はボタフォゴと20年間のリース契約を結んだ

ため、現時点ではかろうじて負の遺産になるのを免れている。

リオ市からの投資はあまり望めないから、2027年にボタフォ

ゴとの契約が切れるとどうなるか。

 

筆者は五輪スタジアムが長く有効利用されるための

8要素をあげている

 

1, 陸上トラックの撤去

(核テナントを誘致しないならその限りではないが)

2, 客席数の削減

3, 継続的な設備投資

4, 至便な交通アクセス

5, 近郊に競合施設がないこと

6, 開催都市の健全な財政状況

7, 独創的なデザインと世界的な認知度

8, 周辺地域との一体開発の成功

 

核テナントについて、筆者は必ずしも必要ではないと

考えている。なぜなら、アトランタのように、最初はいて

も去られてしまうケースがよくあるから。

 

そしてミュンヘンはテナントが去っても生き残っている。

とにかく、投資をつづけるなど努力しつづけることが

大事なようだ。また筆者は市民に愛されてきたスタジアムの

多くは命名権を売却しておらず、日本が国立が売却すると、

五輪レガシーというオーラを自ら脱ぎ捨てて普通の

スタジアムになってしまうだろう、と指摘している。

 

以下、感想

東京五輪のスタジアムはどうなるか。満たしているの

は4だけか。6もましな方ではある。陸上トラックが

あり(球技は本当に見にくい)、埼玉や横浜や味の素

スタジアムもあり、デザインは普通、一体開発する土地

なし、と悪い要素がそろっている状況で、まともな

運営会社はあらわれるのだろうか。

 

撤回となったザハさんのデザインは屋上を歩くツアーも想定していたという。屋内だからコンサートもできただろうし。国立は最悪の道を歩んでいるのではないか。丹下さんの素晴らしいデザインがなくなってしまったことが、悔やまれる。