感情をうまく感じられない少年が主人公の物語。

脳の中にある「アーモンド」の形をしたものが小さいことが

理由とされている。

非常に読みやすい小説、そういう意味でできはいい。

 

どうして、そんなへんてこな少年を主人公にするのか? 

と思っていたら、最後の方で狙いがわかり、なるほど、と思った。

共感できない人は脳に欠陥を抱えている人だけですか、いま、

みんなそうじゃないの、ということがこの韓国人若手作家は

言いたかったようです。

 

地球上のどこかの国で起こっている戦争のニュースで、

痛がっている人がいるのに、多くの人はそれを見ても平気だ。

あまりにも遠くにある不幸は自分の不幸ではない、と。

目の前で人が殺されているのに行動しなかった人たちはどうか。

殺人者が怖くて近づけなかった、とそこにいた人はいう。

 

遠ければ遠いでできることはないと言って背を向け、

近ければ近いで恐怖と不安があまりにも大きいと言って

だれも立ち上がらなかった。ほとんどの人が、感じても行動せず、

共感するといいながら簡単に忘れた。

 

作者はあとがきで、この小説によって、社会の中で傷ついた

人たちに、特にまだ多くの可能背が開かれている子供たちに

差し出される手が多くなればと思う、と書いている。

 

「人間を救えるのは結局、愛なのではないか。そんな話を書いて

みたかった。愛とは“種”に注がれる水と日差しのようなもの。

人にもう一度注がれる視線とか、決めつける前になぜ

そうなったのか質問してみること、それが愛ではないか」

 

我々が共感できる力を取り戻すため、作者の考える「愛」に

ついて考える必要があるのではないか、と訳者の方は記している。