江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して(その7) | まっちーのブログ

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江戸と浅草の歴史(町名由来と古地図を通して(その7)

 

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北条氏と江戸・浅草

 

古地図についてみていきます

 

幕府は明暦三年正月の大火のあと、北条氏長と渡辺半左衛門に江戸図の作成を命じている「落穂集追加」大道守重祐友山著によると、氏長の娘婿にあたる福島伝兵衛と鈴木修理長頼は小川町の安房守屋敷の焼け跡に御絵図小屋を作って作図に当たったといいます。

 

ここで作られた江戸図が後の寛文図であります。

 

この寛文図は江戸を五分割して一組とするものでありました。

 

更に重要な点はその範囲の広大なことと大絵図としては初めて印刷された板行図であり、西洋図法を取り入れた実測図であったことであります。

 

このあと毎年のように江戸図が刊行されています。

 

そのうち嘉永元年(1848年)以後は江戸市中を三十ほどに区切った切絵図も出されるようになったのであります。

 

下の絵図が慶長十三年の江戸図であります。

 

慶長七年の江戸図に次いで早い時期の絵図であります。

 

原図は都立中央図書館所蔵のものであります。

 

このように江戸図は江戸城を中心として作図されています。江戸市内の地図は寛文図がもっとも古いものであります。

 

ついで延宝図であります。

 

〈古地図文献〉

長禄江戸図 1457年

慶長江戸図 1602年

慶長江戸図 1608年

武州豊島郡江戸庄図 1632年

正保年間江戸絵図 1644年

武州古改承応江戸図 1653年

新添江戸之図 1656年

新板江戸大絵図 1670年(寛文図)

江戸方角安見図鑑 1679年(延宝図)

 

 

代表 まっちー音譜

 

株式会社 町田絲店 代表取締役

 

 

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