秀吉は北条をいきなり攻め込んだ訳ではない。それなりに大義名分があったのだ。天正十七年氏邦の重臣が名胡桃城を急襲、城主鈴木主水を討ち取ってしまったのだ。これに激怒した秀吉は関東の雄 北条攻略に打ってでたのだ。その数、毛利の水軍を含め、なんと総勢25万もの大軍だ。

知らせを受けた小田原城内には主だった支城の城主達の激論が続けられた。時の城主は氏政の子氏直だがまだ子供、実権は氏政がにぎっていたのだ。たがこの氏政 優柔不断の性格。籠城するか?、打ってでるか?、(小田原評定)決断が出来まま時が過ぎていった、そしてついに氏政の出した決断は籠城策だ。
それには訳が。さてその訳とは一体??。=続く=

❰お館様は小田原城にて籠城とのご様子に御座います。

・風魔忍びー桃❱をアップします。
ホームカフェピッコロにて


( *´艸`)( -_・)?