先日のブログでは、植物のたたかい方をみていきましたが、

私はどうだろうと。

 

ちなみに私は約30年前くらいに生まれました。

そこから、幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・企業を2社経て、フリーランスとして実家と都内と2拠点で生活しています。

そんなに珍しい感じもしない経歴と自分では思っているけど、

まぁ、そこはさて置いて。

どんな性格だったのか、

どういう風にたたかって(?)来たのかを

振り返ってみようと思います。

 

 

【幼稚園〜小学校期】

紛れもなくC型(競争型・オラ一番だべ)でした。

勉強も運動もソツなくこなし、

学級委員は「どうせ私がやるのだから」とばかりに

進んで手を上げていた記憶があります。

言われたことをそのままやるのが得意で

特に工夫とかはなく、純粋な力技タイプでした。

 

目立つのが好きな訳ではなかったけれど、

謎の責任感と一目置かれたい欲が高く、

場をうまく保つことに力を注いでました。

あと、幼稚園の頃はセーラームーンが好きだったのに

あんないわゆる女の子っぽいのが好きとか

なんかダサい、と思って誰にも言えずにいました。

人に言えるようになったのは、大学生の頃からです。

モーニング娘、チェキっ娘、ジャニーズも好きでした。

キラキラしているもの、美しく可愛いものが好きで、

ダサいことへの恐怖感は小さい頃からずっとある気がします。

ダサいなんて、人生終わってる。

くらいにダサいことが嫌い。笑

外で遊ぶことも好きでしたが、

お家でお絵かきしたり人形遊びをしたり

本を読んで昼寝したりしてるのが好きでした。

ここは今でも一緒かな。

敵は、もっぱら家族でした。

自営業のため仕事で忙しくて構ってくれない家族に

ヤキモキしていました。

 

【中学・高校期】

中学は、C型(競争型)を引きずりつつも、

S型(ストレス耐性型:ニッチな環境で適応型)に移行してたかな。

高校になると私より目立つ人はたくさんいたし、

目立つと敵も増えて面倒だからと自然な流れでよりS型へ。

いわゆる思春期は、外側に向けて発散ではなく

引きこもりの内側で反抗するタイプでした。

ギャルにも憧れたけど周りの目を気にして成れず、

遊ぶのもプリクラとカラオケくらい。

そんなに積極的に遊びに行かなかったかなぁ。

バイトもしてなかったし、頼まれてソフトボール部に少し居て

そのあとは頼まれて生徒会に入ったんだけど、

生徒会の中でも監査部という

学校の公平性を守る委員会みたいな

特殊なところに属していました。笑

好きなものは、ミュージシャンなら宇多田ヒカル、くるりとか。

ドラマは、池袋ウエストゲートパーク、ケイゾク、

トリックとかだったかな。

ちょっと青めでグレーががかった世界観が好きでした。

あと、パソコンでチャットをよくしてました。

同世代が集まる場所で、夜な夜ななんでもない話から

個人的な相談まで受けてたような。

この頃もやっぱり、ダサいのだけは嫌だったなぁ。

敵は変わらず家族だったような気もしますが

そんなに気にならなくなってたかな。

 

【大学〜社会人4年目期】

大学時代は、初めて家を出られたことが嬉しくて。

一人暮らしをいいことに、学校にはろくに行かず、

本や映画をたらふく観ては、古着屋さんへ通ってみたり

バイトして働く方が楽しかった。(父、母よ、すまぬ)

その後、システムエンジニアとして就職。

なのに、プログラミングが全然出来なくて。

でも周りの人を和ませるのは得意なので、

たくさんお世話になって可愛がってもらったなぁ。

この頃は何型だった、というか敵が自分自身で。

何もかも揃っているのに、私がダメだと思っていました。

初めての落ちこぼれを体験して、

居場所を求めて彷徨っていた気がします。

 

【社会人5年〜8年目】

転部して、プログラマーから企画・マネージャー職へと

仕事がだんだんと変わっていきました。

この頃はS型として力が発揮出来ていたなと。

我ながらそう思う。

というのも、エンジニアのみなさんは

論理的思考に長けており、内気な方が多いので

色々考えてるのに話を聞きに行かないと教えてくれない方ばかり。

私は、内気だけど外面もまぁまぁ良く、

チーム戦が好きなので、同じチーム内にいる人はみんな好き。

だからみんなが何考えてるのか知りたくて、毎日話しかけちゃう。

で、私が出来ない(苦手な)ことを周りの人ができるので

あれも、これもやってー

すごいね!

もう出来たの!

さすが!

と、メンバーを素直に頼って、メンバーの成果が出て、褒め讃える。

良い循環が生まれていました。

最初に担当したプロジェクトは

嫌だったけども頼まれてマネージャーをやりました。

大規模で色々あったけども、

みんな楽しかったと言ってもらえて

乗り越えられたことが嬉しかった。

しかし、やっぱり若気の至り?なのか。

他のこともやってみたい。

なんだか今の職場でやってることって頭打ちな気がする。

ということで、一番楽しい時期に退社をします。

 

【転職1年目】

大きなプロジェクトをやり遂げたことで

少し自信もついて、いざ転職。

やってみたいことだったにも関わらず、

呆気なく撃沈し、1年足らずで辞めることになりました。

この会社に勤めたことは何も後悔していないし、

大変には違いなかったけど楽しかったこともたくさんあったし、

何より迷惑かけてしまったことが多すぎて

申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

当たり前だけど、

世の中やってみないとわからないことが多いんですね。

で、何が敗因(うまくやれなかったという意味で使います)だったのか。

 

それは、

「この仕事、私の役割ではなかった」

ということです。

 

わー。言ってしまった。

元も子もねぇ。です。

 

けど、そういうことだと思うのです。

私が私のことをちっともわかっていなかったので

仕事とのミスマッチが起こってしまいました。

 

どの辺がミスマッチだったのか、

具体的に書き上げていたら

キリがなくなってしまったので省略するとして。

 

一番の原因は、

「やりたいことを優先して、

私が活きるポジションは考えずに職選びをしたこと。」

でした。

 

転職先は、市場こそニッチ(=S型)ではあったものの

仕事の仕方としては、競争型、C型に近かったと思います。

基本的にはソロ活動で、

能動的に動いて目的を達成する仕事。

 

私が今までやってきて合っていたと思う仕事、

成果が出ている仕事は、S型のお仕事でした。

敵は少なく、自分とはタイプの違う人たちと

内部の結合を高め続けることで

成果を発揮する。

また、だいたいうまく行った仕事は、

今度これやってくれない?と

依頼された役割で仕事を受けてやってきました。

 

おぉー。

改めてみても合ってなかったですね。笑

 

さらに、ここでわかったのは、

「もしや、幼少期のパターンを引きずっていたのでは?」

ということ。

小学生までの、C型。

「割とソツなくこなせちゃう自分」という像は

環境ありきなのです。

それを、何故か

「(環境は関係なく)割とソツなくこなせちゃう自分」と

思い込んでいたと思う。

 

システムエンジニアとして入社した当時

プログラマーに向いていなくて

ボロボロになってしまったことを

いつの間に忘れてしまったんだろうか。自分よ。

また、人との調整も得意だと思い込んでいたけれど、

そんなこともなかった。

環境で限定されていたことなんだとわかりました。

もしかしたら、自分自身も変わってきたことで

得意な戦略も変わってきた部分があるのかもしれない。

 

環境も自分も変わる中で、どう対応して行くのか

まさに植物と同じですね。

 

C型、S型とやってきて

どうやらC型よりは(現時点で)S型の方が合っていそうだ。

というところまではわかった。

で、今フリーランスになって

R(ルデラル)型に移行しようとしている。

合っているのか合っていないのか?

複数のことを並行してやるのは嫌いじゃない。

けど、力の加減をコントロールするのは苦手だ。

私は、というか多分人間って、あんまり頭が良くないので、

どうやらぶつかって身体で経験しないと理解できないようです。

 

結果は、やってみないとわかんないね!

と。本当にこれに尽きる。

 

 

 

□編集後記

1年半前に、次の世界に飛び込もうと

足を踏み入れたら大きく転んでしまいました。

元気になったように見えても

今まで落ち込んでいたのかもしれないなと

この記事を書いていて気がつきました。

でも、書いて整理したらスッキリした。

人生は短い。そろそろまた体当たりしに行くぞ。

という気になってきたところで

これにて、お開き。