こんにちは^ ^まちこです。

もうすぐ冬も終わりそうですね。


水道の水の冷たさを我慢するのも、もう少しでおしまいと思うとホッとします。

この冬は、ガスを少なく使う事を心がけてみました。


手洗いや食器を手洗いする時など、水道からお湯を出さず、つめたい水のままでしたり。

ガスファンヒーターを常に一番弱いモードで使ったり。


もちろん、食器は食洗機も使いますし、たくさん手洗いする時はゴム手袋で防寒したり、貼るカイロや電気膝掛けなども使って、痩せ我慢にはならないようにしました^ ^

お風呂にも、毎晩温かいお湯を張りましたよ。


冷たい水を使う事は最初は家族の中で私だけがそうしていたのですが、次第に夫と息子も同じようにしてくれるようになりました。


息子は、CO2が出ないから地球に優しい!と誇らしげでした。

水で家事をする事は、手荒れにもなりにくく、またゴム手袋を付けると、着脱の手間はありますがかなり冷えを防ぐことができました。

鍋をいくつも洗うとか、量の多い時にはゴム手袋を活用していました。


不思議なもので、ガスを当たり前のように使っていた時は何も感じなかったのに、大切に使い始めるとガスがとても素敵に思えてきました。

まるで、ミツロウの蝋燭を灯す時に得られる癒しのような感覚を、ファンヒーターの近くで暖を取るときや温かいお風呂に浸かるときに感じました。


ガスの使用料金は、どのくらい節約できたでしょうか実感として、ガスはコンロで煮炊きする使用量より、ガス給湯器での使用量の方が多い気がします。


ガスを節約し始めたと同時に、週一の買い出しの時、スーパーのサッカー台にある募金箱に、毎回千円札1枚を入れるようになりました。

能登半島の地震被災地への募金です。

ガス節約だけでは足りないかなーと思い、食パンも1ランク安いものに変えました^ ^


能登への募金箱の隣には、ウクライナへの募金箱も置いてあります。

おそらく、能登の箱があるより以前からあったのでしょう。

こっちに入れてこっちに入れないのは変だな、という気軽な気持ちから、ウクライナの箱へも入れるようになりました。

(そして私の癖で、戦争についての勉強も気が済むまでしたのですが、それについてはいつかまた…)


家計簿をつける時間的余裕は無いけれど、食事はほぼ自炊ですし、カフェもほとんど家。イベント事や娯楽に出かける機会や、お誘いお呼ばれも最近ではほとんど無くなり、それに伴ってよそゆきのお洋服もあまり必要無くなりました。

なので、この程度の寄付なら生活に支障をきたすことは無いように感じます^ ^


それに、自分が着飾って、美味しいご馳走を食べ娯楽に興じているより、質素に生活しつつ寄付をしている方が、いつも一定の穏やかさを保っていられる事に気がついたのです。

それは、戦争や災害、貧困のニュースを目にした時に特に感じます。


普段、世界の影の部分に目を背け、快楽を貪っていると、現実を突きつけられた時ショックを受けるのですが、いつでも、今どこかでしんどい思いをしている人に寄りそい、自分も少し貧乏に暮らしていると、そうでもないのです。


また、いつかもし自分がとてつもない困難や貧困に見舞われたとしても、世界のどこかで今の自分と同じように、寄り添って暮らしてくれている人がいるに違いない。自分は決して見放される事無いのだと、保証されたような、確信めいた気持ちになります。


この日本に住んでいるというだけで、もうすでに富裕層ですから^ ^ゞ

世界のどこかで誰かが、一滴飲みたいと渇望してやまない、安全な水で、私たちは浴槽や車のタイヤを洗ってるのですものね。


贅沢を貪る事をやめれば、そういう事をいつも思っていても、罪悪感に駆られず、穏やかで幸せな気持ちでいられるのです。


少し変わった見方かも知れませんが、こういう生き方を始めた人間がいる、ひょっとしたら身の回りに意外といるかも知れない、という事を知っていただけたら幸いです。


ではまた!