パリの衝撃的な事件から5日が経った。この5日間で世界の動きが急速に変った気がする。ロシアの旅客機がテロによる墜落だったと断定され、フランスとロシアは空爆を加速した。世界各国は結束を強めようとし、おそらく私たちも無関係ではいられなくなっているのだろう。

この5日間、特に事件の起きた当日(日本時間14日早朝)と翌日は様々な国のニュースを追っていた。英語だけでなく、仏語独語もすらすら読めるようになりたいと思いつつ、辞書をひきながら、各国の速報を追う。家族には、お前がこれを追ったってしょうがないと言われながらも、ニュースを追わずにはいられなかった。

1月にシャルリ・エブドの襲撃があった時、私はイギリスにいた。次はロンドンだと覚悟した。海外で暮らすとはそういうことだ。日本でだって思わぬ事故や事件に巻き込まれることはある。それでも、正直日本にいたときよりも、事件に巻き込まれる可能性が身近にあるような気がしたのだ。私の暮らしていた町は、ロンドンから離れた田舎で、事件らしい事件はほとんどない平和な土地だ。街のほぼど真ん中に刑務所があるのに、特に問題もなく、暮らしていた約1年間で起きた大きな事件と言えば、街のハイストリートで、配線の見えたスーツケースが2つ見つかり、道が封鎖された程度のものである。(そのスーツケースも、爆弾などではなく、単にゴミ捨て場に捨てられていたものが、ホームレスによって持ち出されただけのものであったことがすぐに判明した。)その田舎町に暮らしている間は、事件に巻き込まれる恐怖はなかった。しかし、ロンドンはどうだろう。襲撃のあったパリからさほど離れていないし、度々テロの標的になる可能性を指摘されているし、東京で暮らすよりもずっと、テロという言葉が近かった。なおかつ1月の末からロンドンで研修があるのである。情報が欲しいと思った。

まだその感覚が続いているのだと思う。フランスとイギリスの物理的、心理的近さ、まだその中に自分がいるような気分。友人たちの暮らすヨーロッパ。たまたま、パリに今現在友人がいないから客観的に見ることができている。でも、友人のなかにはパリに限らずフランスに留学していた人や留学している人がいる。彼らが巻き込まれた時に、自分が平静でいられる自信はない。イギリスで何かあったら、どうやったって落ち着いた心境になれるわけがない。パキスタンでも爆撃があった。パキスタン人の友人が安全なところにいることを知っているから、まだ平静でいられる。でも彼女から、戦争の話を聞いた。そういうところで育ってきた友人がいる。中国人の友人もいる。国に帰ったら、FBで連絡がとれない。何かあった時に情報が入らないというのは穏やかでいられない。

もう一つ、今回のことで大きなショックを受けたのは、劇場が標的になったことだ。無意識に劇場は狙われないだろうと思っていた自分に気付いて、二重にショックを受けた。某先生が指摘していたことだが、「劇場やスタジアムといった場所は普段と違うことが起こる場所であり、正常バイアスが何倍にもなる」のである。だから、インタビューで人々が口々に「ショーの演出だと思った」や「爆竹の音だと思った」などと言うのは不思議でもなんともないのである。おそらく、劇場にいるときに同様のことが起きたら、私も最初は演出の一部だと思うだろう。劇場空間というのは、そういうものなのである。そして、劇場を狙ったというのは同時に文化に対する明確な攻撃なのだろう。彼らにとって偶像たりえる芸術が攻撃対象になった理由は後から様々な情報をつきあわせてみていくことで明らかになってきたように思う。かれらが襲撃の支持に使ったハッシュタグ「パリは燃えているか」(ナチに対するパリ解放のレジスタンス運動を題材にした小説、映画)や襲撃日が13日の金曜日(当然キリストの処刑されたとされる日である)であったこと、劇場やスタジアムを狙ったこと、つくづく文化に対する攻撃だなと感じた次第である。

ただ、一方でFBでのフランス国旗をプロフィールに重ねてパリを応援するキャンペーンや、パリ市民が「ラ・マルセイエーズ」を大合唱したと聞くとそれに違和感を持ったのも事実である。連帯の暴力にならなければいいけれども、と。パリやベイルート、トルコなど一連の事件を悼むことを示すのに、国旗を重ねることが必要なんだろうか。追悼することと、支持することは同じなんだろうか。まだ結論は出ていない。だが、おそらく世界は止まれないように思う。まだ5日、しかしもう5日である。